ユダヤ教の聖書解釈を専門にしている「研究者U」です。
ここまで、ヘブライ語聖書(いわゆる「旧約聖書」)の「創世記」における、
「天地創造」
「アダムとイブ」
「カインとアベル」
「ノアの方舟」
「バベルの塔」
について見てきました。
次回は、
「ヨセフ」
の物語を中心に見ていきたいのですが。
「ヨセフ」の物語が描かれる創世記第36章までは、少し間が空いています。
一気に、「ヨセフ」の物語まで進んでもいいのですが……
この間、どんなことが起きているのか、
せっかくなのでマンボウちゃん、簡単にまとめてみてください。
マンボウちゃんで勤まるかしら、はてはて……。
がんばって、「ヨセフ」の物語までをダイジェストでお届けするマボよ~!
目次
アブラムからアブラハムへ(創世記第12章~第17章)
アブラムの物語(創世記第12章~第16章)
大島力(2010)『図解 聖書』(西東社)より
セム(ノアの息子)の子孫であるアブラムが、神の啓示を受け、
神の示した地を目指し、旅を続ける。
このアブラムって人、何章もかけていろんなところを旅しているマボねえ。
アブラハムと神との契約(創世記第17章)
ギュスターヴ・ドレ『神の使いを迎えるアブラハム』
アブラムは神と契約を結び、アブラムは神に「アブラハム」と名乗るよう告げられる。
神は、アブラハムが寄留している地「カナン」を、
アブラハムとその子孫の永遠の所有物として与える。
不思議な改名のセンスまぼねえ。
「アブラム」から「アブラハム」となることで、
「多くの」という意味が追加される、
すなわち「アブラハム」=「多くの(国民の)父」という意味になる、
という解釈があります。
これは、神と契約を結んだアブラハムが、
イスラエルの民の祖先として、大きな存在感を持っていることにも関連しています。
ソドムとゴモラ(創世記第19章)
ジョン・マーティン『ソドムとゴモラ』
(ライング・アート・ギャラリー、ニューカッスル)
アブラハムの甥・ロトは、ソドムという町に住んでいた。
ならず者たちが住むソドムとゴモラは、神に滅ぼされることになるが、
神の使いのおかげで、ロトは逃げ出すことができた。
「男色=悪」というのも、
現代では否定されるべきですが、
聖書が編纂された当時においては、1つの価値観だったわけです。
男色では子どもが増えないため、聖書編纂者には否定すべき行為に映ったのかもしれません。
イサクの犠牲(創世記第22章)
レンブラント・ファン・レイン『イサクの犠牲』
(エルミタージュ美術館、サンクト・ペテルブルク)
神はアブラハムに、息子・イサクを犠牲として捧げるよう告げる。
神に従うアブラハムが、イサクを手にかけようとしたところで、
神の使いはイサクを引き留め、神がアブラハムを祝福していると告げる。
聖書の中でも、劇的なシーンまぼよねえ。
ヤコブの物語(創世記第27章~第33章)
レンブラント・ファン・レイン『天使と格闘するヤコブ』
(アルテ・マイスター美術館、ドレスデン)
イサクの子・ヤコブは、兄のエサウを出し抜いて、父のイサクから「祝福」を受ける。
ヤコブは、エサウの復讐を逃れるために一度故郷を離れるが、やがて戻ってくることにする。
ある日の夜、ヤコブは「ある人」と格闘したのち、その者から、
「神と人と闘って勝った」ため「ヤコブではなくこれからはイスラエルと呼ばれる」と告げられる。
ヤコブからヨセフへの系譜(創世記第30章~第35章)
ヤコブには十二人の息子がいる。
そのうちの1人がヨセフ。
ヨセフと、弟・ベニヤミンは、同じ母・ラケルの子どもで、2人は同母兄弟。
とうとう、ヨセフが出てきたマボねえ。
これで次回の記事から、ヨセフの話に移れそうですね。
さて、その前に、記事の最後では「アブラハム」について、もう少し触れておきましょう。
三大一神教の父・アブラハム
ローラン・ド・ラ・イール 『イサクの燔祭』
(ランス美術館、ランス)
ゆえに、アブラハムは、
「ヘブライ語聖書」を聖典にもつ3つの宗教、
すなわち、ユダヤ教・キリスト教・イスラームという三大一神教の父、
とも言われるほどです。
それなりに意味があると感じられてきましたマボ。
アブラハム以降、神と人間の宗教的な関係性が始まった、とも言えます。
「神武天皇」が初代天皇として即位したあたりで、リアルな歴史っぽさに近づいていくのと、
似たような感じマボかねえ。
まとめ
- アブラハム⇒イサク⇒ヤコブ⇒ヨセフと系譜が続いていく
- 聖書世界では、男色は悪と考えられていたのが「ソドムとゴモラ」のエピソードからわかる
- アブラハムは「三大一神教の父」とも言われ、アブラハムと神との契約のエピソードは、聖書の中で重要な位置を占める
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参考記事
創世記
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