【アダム/イブ/エデンの園】「善悪の知識の木の実」は林檎?╿蛇の「真の姿」は? 【研究者Uの聖書講座】

こんにちは、はてはてマンボウです。

研究者Uさんの聖書講座のシリーズです!

 


 

 

 


 

こんにちは。

ユダヤ教の聖書解釈を専門にしている「研究者U」です。

 

今回は、ヘブライ語聖書(いわゆる「旧約聖書」)の「創世記」における、

 

「人間の誕生」と、

「エデンの園での出来事」

 

について見ていきましょう。

 

人間の誕生

最初の人間・アダムの誕生

アルブレヒト・デューラー『アダムとイブ』

(プラド美術館、マドリード)

 

さて、「創世記」1章は、神による天地創造のシーンが中心でした。

 

2章では、こうして生まれた「人間」についての記述が見られます。

 

まずは、聖書に何が書かれているのか見ていきましょう。

 

  • しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。
  • 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。

人はこうして生きる者となった。

新共同訳〈創世記2:5-2:7》
(2021年10月23日 閲覧)

 

これが、聖書の中で、最初の人間のアダムが誕生するシーン、というわけマボねえ

 

人間はいつ創造されたか?╿第1章と第2章の食い違い

さて、ここで「創世記」第1章の天地創造のシーンと、

第2章のエデンの園のシーンを比較してみます。

 

すると、つじつまが合わないところが出てくるんです。

はて、つじつま。

 

《神が創造したものリスト》※創世記 第1章

  • 1日目:光、闇
  • 2日目:空(天)
  • 3日目:地、海、植物
  • 4日目:太陽、月、星
  • 5日目:水中の生きもの、鳥
  • 6日目:陸上の生きもの、人間
  • 7日目:※何も作らず、お休み

 

創世記の第1章を見ると、人間が誕生したのは6日目ですね。

 

しかし、創世記の第2章で人間が誕生したシーンをもう一度見てみると……

 

地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった

 

主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。

また土を耕す人もいなかった。

 

野の木も、野の草も生えていない……

 

ということは、この世界に植物が生まれる前の場面のようです

 

さて、創世記の第1章で、植物が生まれたのは……。

3日目マボ!
つまり、この創世記第2章のアダムの誕生シーンの描写と、

 

第1章の「天地創造」のシーンの描写を突き合わせると、

 

3日目と6日目の出来事が同時に起きている

 

ということになってしまうんです

なんと~!

 

動物はいつ創造されたか?

もう1つのシーンにも注目しましょう。

 

最初の人間であるアダムが生まれたのち、

 

「アダムも1人じゃさみしいだろうから」

 

と神が気を利かせてくれるシーンがあるのですが……。

もう1人の人間・イブの誕生マボね。
そのとおり。

 

しかし、イブを創造する前に、こんなシーンが描写されています

 

 

では、例によって、

創世記第1章の「天地創造」のシーンで、

動物たちがいつ作られたかを確認すると……。

 

《神が創造したものリスト》※創世記 第1章

  • 1日目:光、闇
  • 2日目:空(天)
  • 3日目:地、海、植物
  • 4日目:太陽、月、星
  • 5日目:水中の生きもの、鳥
  • 6日目:陸上の生きもの、人間
  • 7日目:※何も作らず、お休み

 

5日目と6日目の、人間を作る前のシーンです~、はてはて……。
なぜ、このような、つじつまの合わないシーンが出てくるのか。

 

それは、「聖書は複数の伝承を編纂して生まれた書物だからだ

 

と考えることができます。

複数の伝承……と言いますと?
創世記の「第1章」と「第2章」の創造物語は、

「もともとは別の伝承だったと考えられる」

ということです。

 

聖書を編纂する際、異なる伝承を並べてしまったために、

「第1章」と「第2章」とでうまくつながらないところが生まれたのでは、

というわけですね。

たしかに、1人が同じストーリーを連載していたら、こんな食い違いは起きそうにないですよねえ。

 

エデンの園

善悪の知識の木の実

ピーテル・パウル・ルーベンスとヤン・ブリューゲル『エデンの園と人間の堕落』

(マウリッツハイス美術館、デン・ハーグ)

 

さて、エデンの園で暮らしていたアダムとイブですが、

 

「善悪の知識の木の実」

 

だけは食べていけないと神から禁じられていました。

 

しかし、蛇がイブをそそのかしにやってきます。

 

(創世記2:16-2:17)
  • 主なる神は人に命じて言われた。

「園のすべての木から取って食べなさい。

 

  • ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。

 

(創世記3:1-3:5)

 

「林檎」……って、どこに書いてある?

さて、林檎の話でお腹もすいたし、マンボウちゃんも、おやつをっと……。

 

善悪の知識が身について、楽園を追放されちゃうマボけど、おいしいマボから……

マンボウちゃんは、「善悪の知識の木の実」は林檎だと思っているようですが、

 

実は、聖書本文中に「林檎」という紹介はどこにも書いてありません。

 

上に引用した聖書本文を確認してみてください。

は、はてはて、なんと!

てっきり、林檎を食べたものとばかり思っていました!

 

これは、

「善悪の知識の木」の「悪」を表すラテン語「maliに関係している、

という説があります。

 

 

○「善悪の知識の木」のラテン語訳は……

⇒”lignum scientiae boni et mali”

※lignum(木)、 scientiae(知識)、 boni(善)、 et(と)、 mali(悪)

 

○ラテン語の”mali”に注目すると……

①「善と悪(boni et mali)」の”mali”=「悪」

②林檎(malum)の変化形の1つが”mali”

「悪」を表す”mali”が、「林檎」にも通じることから、

「善と悪の知識の木」とも、「善と林檎の知識の木」とも読める

⇒ここから、「林檎」が連想されたのでは?

 

 

ラテン語では、「悪」と「林檎」の音が通じていることから、

「善悪の知識の木の実」に「林檎」のイメージが定着した、

とも考えられるわけです。

聖書って親父ギャグが大好きなのねえ、はてはて。

 

「蛇のもともとの姿」とは?

さて、上に引用したとおり、

 

「善悪の知識の木の実」をイブに与えた蛇は、

 

神の怒りを買うことになります

 

 

ここで、神があえて、「這いずり回れ!」と命令していることから、

 

「実は、昔の蛇の姿は今とは違ったのではないか?」

 

「蛇には手足があったけれど、

神によってその手足を奪われた結果、

今の這いずり回る姿になったのでは?」

 

と、考えることもできます。

 

というわけで、這いずり回る前の「昔の蛇」の想像図の1つがこちら。

 

 

フーゴー・ファン・デル・グース『人間の堕落』

(美術史美術館、ウィーン)

 

うわあ、絵の右側の生きもの……

言葉にしづらい気持ち悪さがあります。

もしかして、これが蛇マボか?

「言葉でイブをそそのかした」

「這いずり回れと命令される描写があった」

という聖書内の記述を踏まえて、

独自の解釈で、顔と手足が加えていますね

 

ただし、あくまで、「そのように考えることも、できる

という、作者のいち解釈です。

 

聖書内に「蛇にはかつて、人の頭があった」「手足があった」

という描写はありませんので、そこはご留意ください

「聖書に事実として書かれている情報」と、

「どんな解釈があるのか」は、

分けて考える必要がある、ということマボね!

 

まとめ

  • 創世記の第1章と第2章で、「人間」「動物」が作られた日が異なることから、「聖書は複数の伝承を編纂して生まれた書物ではないか」と考えることができる。
  • 「善悪の知識の木」が「林檎」である、という記述は聖書中にはなく、あくまで解釈の1つ
  • 蛇に対して、神が「這いずり回れ」と命令していることから、「蛇はかつて違う姿だった」という解釈も生まれた

 

研究者Uさんの、「聖書」に関する専門講義の続きはこちらをチェックまぼ!

みんなでシェアしてくれ~はってはて~

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。