【出エジプト記/モーセ】⑤「出エジプト」の……人数/いつ頃?/実話? 【研究者Uの聖書講座】

こんにちは、はてはてマンボウです。

研究者Uさんの聖書講座のシリーズです!

 


 

【出エジプト記/モーセ】④ 「十の災い」と「過越祭」【研究者Uの聖書講座】

 

前回までの記事はこちらをチェックしてくれ~

 


 

こんにちは。

ユダヤ教の聖書解釈を専門にしている「研究者U」です。

 

今回は、ヘブライ語聖書(いわゆる「旧約聖書」)の「出エジプト記」に関して、

 

「脱出した人数は何人か?」

「『出エジプト』は、いつ頃起きたのか?」

「そもそも本当に起きたのか?」

 

を中心に見ていきましょう。

 

「60万人」の男子?

デヴィット・ロバーツ『エジプトを去るイスラエルの民』

(バーミンガム美術館、バーミンガム)

 

前回までのあらすじ……。

神が引き起こした「十の災い」を前に、

ファラオはとうとう、イスラエルの民が出ていくのを許したんでしたね

そういうわけで、イスラエルの民はモーセに率いられてエジプトを出ていくのですが、

 

その人数が……

 

 

 

 

 

新共同訳〈出エジプト記12:37-12:39》
一般財団法人日本聖書協会HPより
(2022年3月27日 閲覧)

 

だ、男子だけで60万人……。

ここに、妻子やその他の人々も含めたら、200万人ぐらいにはなりそうです……。

そこに家畜も含めるなんて、想像もできない数マボ……。

その辺の政令指定都市ぐらいの人口がごっそり抜けるとは、さすがに考えにくいです。

 

1人ひとりが前後1mの間隔をとって、200万人が集団行動すると、先頭と最後尾が200km以上離れることになります。

先頭がパレスチナに入る頃になって、最後尾はようやくエジプトを出るような計算です。

「ぐずぐずはできないし、食糧を用意するいとまもなかったから、

エジプトから持ち出した練り粉で、パン菓子を焼いた」

って書いてますけど、200万人分のパンを焼くって、結構悠長な感じになりそうマボよねえ。

さすがに、この人数がいっぺんに動いたとは考えにくいので、聖書中の数字には脚色があるとするのが自然でしょう。

 

出エジプトはいつのことか

①前1450年頃説(聖書の年代から計算)

さて、そもそもこの「出エジプト」はいつ起きたのかについては、いくつかの説があります
ぼぼぼ。

正解はなく、いろんな考えがあるわけマボねえ。

1つ目は、「紀元前1450年頃」という説です。

 

これは、聖書の記述から算出しています。

 

エルサレムで、ソロモンという王が前965年頃に神殿を作った」

という記述が『列王記』の中にあります。

 

 

新共同訳〈列王記上6:2》
一般財団法人日本聖書協会HPより
(2022年3月27日 閲覧)

ギュスターヴ・ドレ『知者ソロモンの裁き』

 

ソロモンの神殿はいまでも跡が残っており、

紀元前965年頃に神殿が建てられたことは確かなようです。

 

聖書中の記述を計算すると、出エジプトはこの神殿建設から480年前であることから、

「紀元前1450年説」

となるわけです。

 

ただし、この説は聖書本文にしか根拠はありません

 

②前1250年頃説(聖書外資料から計算)

2つ目の説は、聖書以外の根拠から算出したものです。

 

「紀元前1207年にエジプトのメルネプタハ王がカナンの地の『イスラエル』という人々を征服した」

という碑文が残っています。

 

ということは、

「紀元前1207年の時点でカナンの地にイスラエルの民が入っている」

ということになるわけです。

 

メルエンプタハ碑文(wikipedia「メルエンプタハ」より)
(2022年3月27日閲覧)
聖書以外にも、「イスラエル」という言葉が出てくる資料があるわけマボねえ。
聖書中では、モーセたちはエジプトを出てからイスラエルに入るまで、荒野を40年さまよっているという記述があります。

 

このことから、紀元前1207年の40年前にエジプトを出た

すなわち出エジプトは紀元前1250年頃だ、という説になるわけです。

 

ただしこれは、説①の聖書中の記述と矛盾してしまいます。

 

【推測】③前1450年頃から「徐々に」説 ④全く起こらなかった説

さて、ここから挙げる2つは、推測による説です。

 

まずは、聖書中の記述のような大規模な脱出が一度に起きたのではなく、

紀元前1450年頃から、小規模な逃亡が何度も繰り返された」

という説。

 

後になって、聖書において大げさに書いた、というわけですね。

まあ、それがまともな考えそうですよねえ。

聖書の記述は否定してしまいますけど。

そして4つ目は、

「そもそも出エジプトなんてなかった」

という説です。

これももちろん、聖書の年代も内容も否定するものではあります。

「歴史的事実」かのように教科書へ書いてよいのか?

ここまで見てきたように、

「出エジプト」については、聖書中の言及はあるものの、

正確な年代は特定されていませんし、

そもそも、「出エジプト」があったのかすらも史実かどうかは不明です。

 

しかし、「世界史」と書かれた資料でも、

「出エジプト」が、歴史的事実かのように語られることがあります。

まがいまさこ(2010)

『図解 世界史』(西東社)より

 

 

「出エジプト」の年代が特定されていますねえ。

「出エジプト」があったかどうかだって、断言できない、という話でした……はて……。

そもそも、モーセの存在自体が、考古学的には証明されていません

これらを「歴史的事実」かのように「世界史」を名乗る資料に載せてよいのか、というのは重要なポイントだと思います。

「聖書に書いてある」からといって、
イコール「歴史的事実」とは限らない、というわけマボねえ。
さて、次回は、海の割れるあまりに有名なあのシーンについて見ていきます。

この続きについては、次回の記事で見ていきましょう。

 

まとめ

  • 「60万人の男子」が脱出したという聖書中の描写は、事実とは考えにくい
  • 「出エジプト」がいつの出来事なのか、そもそも本当にあったことなのかも、不明
  • 「歴史的事実」と証明されていないことでも「歴史」の教科書に載っていることがある

 

研究者Uさんの、「聖書」に関する専門講義の続きはこちらをチェックまぼ!

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