ユダヤ教の聖書解釈を専門にしている「研究者U」です。
今回は、ヘブライ語聖書(いわゆる「旧約聖書」)の最初の書である、
「創世記」の「天地創造」
について見ていきましょう。
目次
7日間の天地創造と「1週間」の起源
天地創造
ティントレット『天地創造』
(アカデミア美術館、ヴェネツィア)
神が毎日、いろいろなものを創造していくわけですね。
まずは、聖書に何が書かれているのか見ていきましょう。
《神が創造したものリスト》
- 1日目:光、闇
- 2日目:空(天)
- 3日目:地、海、植物
- 4日目:太陽、月、星
- 5日目:水中の生きもの、鳥
- 6日目:陸上の生きもの、人間
- 7日目:※何も作らず、お休み
さっすが、神マボねえ。
「1週間=7日」の起源は聖書?
「一週間=7日間」
「7日目は休み」
という現代の習慣につながっているとも言えます。
もっとも、聖書それ自体も、
「1週間=7日間」
というカレンダーを、周辺の文化から借りてきた、とも言われています。
とはいえ、現代の1週間のサイクルに、聖書が大きな影響を与えた、
というわけですね。
天地創造の「おや?」となるシーン
「我々」ということは……神は1人じゃない?
「人間が創造されるシーンには何と書かれているか」
に注目してみましょう。
神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
こうして、人間が生まれたマボねえ。
神が口にしている「我々」という言葉なんです。
この「一人称複数形」の言葉に注目してください。
それがどうかしたマボか。
たくさんの神々が現れる話とは異なり、
聖書では、神は唯一無二の存在というのが大前提なんです。
なので、ユダヤ教やキリスト教は、
「一神教」
とも呼ばれます。
なのに、神が「我々」と言ってしまうと……。
ミケランジェロ『天地創造』
(システィーナ礼拝堂、ヴァチカン)
そこで、この「我々」という表現については、
「我々」というのは「神と天使たち」であり、
「神と天使たちが相談して人間を作ったから、『我々』と言ったんだ」
と解釈する人もいます。
何が正解というものでもありませんが、さまざまな解釈が生まれていくわけですね。
「水」はいつできた?
「天地創造」のシーンには、ほかにも「おや?」となるところがあります。
冒頭の描写に戻ってみましょう。
- 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
- 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
「初めに、神は天地を創造された」
という表現は、
「神は『天地』を創造したんだけど、これからその内容を説明しますね」
ぐらいに、これからの出来事を先にまとめてお知らせしていると見なすのが、一般的な理解です。
ここでは、神はまだ何も創造していない状態ですので、
最初に「光あれ」と、神は光を創造するんですが、
「光あれ」の前に、「神の霊が水面で動いている」と書かれていますね。
……水、いつの間に創造されたんでしょう?
研究者の間で、いろいろな解釈が生まれていくわけですね。
一神教という画期的な発明
ヒエロニムス・ボス『快楽の園』※扉部分
(プラド美術館、マドリード)
ここからは、聖書の画期的な側面にも触れていきましょう。
先ほども言及した「一神教」という考え、
そして、ヘブライ語聖書の神が「創造神」であるというのは、
実は斬新な発想だったんです。
「八百万(やおよろず)の神々」
と言いますよね。
「太陽の神」「月の神」といったように、
自然界の偉大なモノが「神」と見なされるうちに、
「多神教」が生まれるわけです。
そんな多神教を信じている人たちに、
「あなたたちが信仰しているこの世の構成物はぜーんぶ、うちの神が作ったんです」
というスタンスをとれるのが、ヘブライ語聖書の神だ、というわけですね。
「全知全能の創造神」って、いまでこそ、当たり前の考えですが、
実はすごい発想だったんですねえ!
まとめ
- 「創世記」の7日間の描写が、現代の1週間のサイクルに影響を与えた
- 一神教なのに、神が「我々」と言うなど、聖書には解釈が必要となるシーンがある
- 「多神教」に対し、「創造神」としての唯一無二の神がいる「一神教」は画期的な発想だった
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参考記事
創世記
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