ユダヤ教の聖書解釈を専門にしている「研究者U」です。
今回は、ヘブライ語聖書(いわゆる「旧約聖書」)の「創世記」における、
「人間の誕生」と、
「エデンの園での出来事」
について見ていきましょう。
目次
人間の誕生
最初の人間・アダムの誕生
アルブレヒト・デューラー『アダムとイブ』
(プラド美術館、マドリード)
2章では、こうして生まれた「人間」についての記述が見られます。
まずは、聖書に何が書かれているのか見ていきましょう。
- しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。
- 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。
人はこうして生きる者となった。
人間はいつ創造されたか?╿第1章と第2章の食い違い
第2章のエデンの園のシーンを比較してみます。
すると、つじつまが合わないところが出てくるんです。
《神が創造したものリスト》※創世記 第1章
- 1日目:光、闇
- 2日目:空(天)
- 3日目:地、海、植物
- 4日目:太陽、月、星
- 5日目:水中の生きもの、鳥
- 6日目:陸上の生きもの、人間
- 7日目:※何も作らず、お休み
しかし、創世記の第2章で人間が誕生したシーンをもう一度見てみると……
地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。
主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。
また土を耕す人もいなかった。
ということは、この世界に植物が生まれる前の場面のようです。
さて、創世記の第1章で、植物が生まれたのは……。
第1章の「天地創造」のシーンの描写を突き合わせると、
3日目と6日目の出来事が同時に起きている、
ということになってしまうんです。
動物はいつ創造されたか?
最初の人間であるアダムが生まれたのち、
「アダムも1人じゃさみしいだろうから」
と神が気を利かせてくれるシーンがあるのですが……。
しかし、イブを創造する前に、こんなシーンが描写されています
創世記第1章の「天地創造」のシーンで、
動物たちがいつ作られたかを確認すると……。
《神が創造したものリスト》※創世記 第1章
- 1日目:光、闇
- 2日目:空(天)
- 3日目:地、海、植物
- 4日目:太陽、月、星
- 5日目:水中の生きもの、鳥
- 6日目:陸上の生きもの、人間
- 7日目:※何も作らず、お休み
それは、「聖書は複数の伝承を編纂して生まれた書物だからだ」
と考えることができます。
「もともとは別の伝承だったと考えられる」
ということです。
聖書を編纂する際、異なる伝承を並べてしまったために、
「第1章」と「第2章」とでうまくつながらないところが生まれたのでは、
というわけですね。
エデンの園
善悪の知識の木の実
ピーテル・パウル・ルーベンスとヤン・ブリューゲル『エデンの園と人間の堕落』
(マウリッツハイス美術館、デン・ハーグ)
「善悪の知識の木の実」
だけは食べていけないと神から禁じられていました。
しかし、蛇がイブをそそのかしにやってきます。
(創世記2:16-2:17)
- 主なる神は人に命じて言われた。
「園のすべての木から取って食べなさい。
- ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」
(創世記3:1-3:5)
「林檎」……って、どこに書いてある?
善悪の知識が身について、楽園を追放されちゃうマボけど、おいしいマボから……。
実は、聖書本文中に「林檎」という紹介はどこにも書いてありません。
上に引用した聖書本文を確認してみてください。
てっきり、林檎を食べたものとばかり思っていました!
「善悪の知識の木」の「悪」を表すラテン語「mali」に関係している、
という説があります。
○「善悪の知識の木」のラテン語訳は……
⇒”lignum scientiae boni et mali”
※lignum(木)、 scientiae(知識)、 boni(善)、 et(と)、 mali(悪)
○ラテン語の”mali”に注目すると……
①「善と悪(boni et mali)」の”mali”=「悪」
②林檎(malum)の変化形の1つが”mali”
⇒「悪」を表す”mali”が、「林檎」にも通じることから、
「善と悪の知識の木」とも、「善と林檎の知識の木」とも読める
⇒ここから、「林檎」が連想されたのでは?
「善悪の知識の木の実」に「林檎」のイメージが定着した、
とも考えられるわけです。
「蛇のもともとの姿」とは?
「善悪の知識の木の実」をイブに与えた蛇は、
神の怒りを買うことになります。
「実は、昔の蛇の姿は今とは違ったのではないか?」
「蛇には手足があったけれど、
神によってその手足を奪われた結果、
今の這いずり回る姿になったのでは?」
と、考えることもできます。
というわけで、這いずり回る前の「昔の蛇」の想像図の1つがこちら。
フーゴー・ファン・デル・グース『人間の堕落』
(美術史美術館、ウィーン)
言葉にしづらい気持ち悪さがあります。
もしかして、これが蛇マボか?
「這いずり回れと命令される描写があった」
という聖書内の記述を踏まえて、
独自の解釈で、顔と手足が加えていますね。
ただし、あくまで、「そのように考えることも、できる」
という、作者のいち解釈です。
聖書内に「蛇にはかつて、人の頭があった」「手足があった」
という描写はありませんので、そこはご留意ください。
「どんな解釈があるのか」は、
分けて考える必要がある、ということマボね!
まとめ
- 創世記の第1章と第2章で、「人間」「動物」が作られた日が異なることから、「聖書は複数の伝承を編纂して生まれた書物ではないか」と考えることができる。
- 「善悪の知識の木」が「林檎」である、という記述は聖書中にはなく、あくまで解釈の1つ
- 蛇に対して、神が「這いずり回れ」と命令していることから、「蛇はかつて違う姿だった」という解釈も生まれた
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参考記事
創世記
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