研究者Uさんの聖書講座のシリーズです!
ユダヤ教の聖書解釈を専門にしている「研究者U」です。
今回は、ヘブライ語聖書(いわゆる「旧約聖書」)の「創世記」における、
「バベルの塔」
の物語について見ていきましょう。
目次
神(々)が人々の言語を混乱させる
聖書には何が書かれているか
ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』
(美術史美術館、ウィーン)
※アイキャッチ画像は、同じくピーテル・ブリューゲルの『バベルの塔』ですが、
ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館(ロッテルダム)所蔵の作品であり、
並べてみると異なる絵画であることがわかります。
※左が「ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館」所蔵、
右が「美術史美術館」所蔵
「大きな塔が壊れて、人々の言葉がバラバラになる」
という大体のあらすじは、マンボウちゃんでも知ってますマボ。
ブリューゲルの絵画も、見たことがありますマボよ!
「バベルの塔」の物語は、全部で9節の短いストーリーなので、物語の全ての節を引用します。
ここでも「神々」
『創世記』冒頭の「天地創造」のエピソードでも、
神が「我々」と言っているシーンがありました。
このように、「神が複数いるのか?」とも読めるような表現は、
「天地創造」以外にも見られる、というわけですね。
「バベルの塔」は、文脈に関係ない挿話?
「バベルの塔」は、11章の9節分しかないマボねえ。
「ノア」の子孫にはどんな人たちがいたのか、
という「系譜」の話がひたすら書かれています。
例えば、「バベルの塔」が書かれる第11章の1つ前、
第10章の冒頭はこのように始まります。
ところが、11章の冒頭の9節に「バベルの塔」の物語が突然挿入されたかと思うと、
11章の10節から32節までは再び系譜の話に戻るんです。
「バベルの塔」のエピソードは唐突感のある挿話ですよね。
これは、聖書を編纂する際、
前後の「系譜」の脈絡とは関係なしに、
「バベルの塔」のエピソードが挿入されたのではないか、
と考えることができます。
何を伝えようとしている物語なのか
なぜ世界では異なる言語が話されているのか
ギュスターヴ・ドレ『言語の混乱』
(個人蔵)
「ノアの方舟」のエピソード以降、聖書のストーリー展開では、
ノアの末裔がこの世に広まっていく様子が描かれていました。
しかしながら、現実の人々はバラバラの言語を話しています。
似たような言葉を話しているはずマボよねえ。
世界中でさまざまな言語が話されています。
そうなると、聖書のどこかには、
「世界で複数の言語が話されている」
ことに理由をつけるためのエピソードが必要になります。
というわけで、このような「バベルの塔」の物語が、聖書に採用された、
と考えることができるわけですね。
バベルという都市の名前の起源
「バベルの塔」について書かれている11章の最後の1節を見てみましょう。
こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。
「ヘブライ語で、混乱を『バラル』と言う」
↓
「言語の混乱のきっかけとなった町があった」
↓
「この町の名前は『混乱(バラル)』に由来して、『バベル』と言う」
という流れの説明になっているわけです。
それに、「バベル」という都市のことを、おちょくっている雰囲気もあるような。
なんだか、かっちょぶーマボねえ、オラオラ~
それをわざわざ、
「『バベル』は『混乱』に由来している」
と聖書内で説明しているわけです。
聖書の編纂者が「バベル」にネガティブな意味を与えようとしているならば、
その理由は何なのか。
実は、「バベル」を都とする新バビロニア王国という国により、
古代のイスラエルの民は国を滅ぼされ、バベルの地へ連行される、
ということが起きています。
そして、聖書の中には、
「古代のイスラエルの民が、バビロンへと連行される」事件、
いわゆる「バビロン捕囚」についての記述があります。
いわば敵の町である「バベル」のことを悪く言いたいので、聖書ではこんな描き方がされている、
と考えることもできるわけですね。
まとめ
- 「バベルの塔」のエピソードは、聖書中へ突然挿入されているように見える。
- 「バベルの塔」のエピソードのおかげで、聖書において、「ノア」という共通の祖先を持つはずの人類がバラバラの言語を話していることの説明がつくようになっている。
- 「バベル」という町を悪く言うために、このようなエピソードが入っている、とも考えられる。
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参考記事
創世記
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