【スペイン/歴史/簡単に】⑥ スペイン継承戦争╿ハプスブルクからブルボンへ

こんにちは、はてはてマンボウです。

今回は、イベリア半島のスペインの歴史について見ています。

 


 

 

 


 

さてスペインの歴史も今回の記事がラスト!

 

ここからは悲しいかな、「黄金の時代」を築いたはずのスペインが衰退していく歴史だ

梓

 

スペイン帝国の没落

イングランドに敗北:アルマダの海戦

フェリペ2世は、イングランド女王メアリー1世を妻に持っていた。

彼女が亡くなるまで、フェリペ2世はイングランドの共同王だったんだ。

梓
ポルトガル王国だけでなく、イングランド王国まで共同統治していたとは……
ただし、自分が王位に就いていたポルトガル王国とは異なり、イングランドにはその王位を継承する人がいた。

エリザベス1世だ。

梓

『アルマダの海戦時のエリザベス1世の肖像画』

(ウォバーン・アビー、ウォバーン)

 

プロテスタントであるイギリス国教会を信奉するエリザベス1世は、ばりばりのカトリックであるフェリペ2世にとって邪魔でしかない。

 

加えて、イングランドは、スペインから独立しようとしているオランダを支援したり、スペインを襲う海賊船をしれっと援助したりしていたものだから、フェリペ2世はとうとう戦争を決意する。

 

アルマダの海戦だ。

梓

フィリップ・ジェイムズ・ド・ラウザーバーグ 『無敵艦隊の敗北』

(国立海事博物館、ロンドン)

 

無敵艦隊と呼ばれるスペイン艦隊「アルマダ」は、しかしイングランドに敗北
梓
イングランドをカトリック化しようとする、フェリペ2世の野望は絶たれたわけですね。

 

オランダ独立戦争

オランダをはじめとしたネーデルラントがスペイン・ハプスブルク家の支配下にあったことは前回の記事でも見てきたね。

このネーデルラントにはプロテスタント勢力が広まっていたのに加えて、
毛織物工業など商工業の利益をスペイン本国に吸い取られていたことから、
市民の間に不満が広がっていた。

梓

ヘンドリック・コルネリスゾーン・フローム『スペインのガレー船を攻撃するオランダ船』

(アムステルダム国立美術館、アムステルダム)

 

1568年に戦争が始まり、
1648年にネーデルラント連邦共和国として国際的に独立が承認されて戦争が終結したことから、
この期間をとって「八十年戦争」とも呼ばれる。
梓

 

 

家系図╿近親婚╿そして“顎“……

近親婚を繰り返した結果

さて、突然だけど、スペイン・ハプスブルク家の家系図を見てみよう。
梓
はて、突然マボね。

 

悲しい歴史を見るんじゃなかったマボか。

それが意外と、悲しい歴史につながっているんだ。
梓

Wikipedia「スペイン・ハプスブルク朝」より

(2021年9月11日閲覧)

 

は、はて~!

なんだか、兄弟とか、叔父・叔母とか、親戚同士で結婚を繰り返していませんか!?

スペイン・ハプスブルク家では、近親婚が繰り返されていた。

まず、名門・ハプスブルク家たるもの、家格の低い諸侯とは結婚できない

その諸侯も常に後継ぎがいるわけではない。
例えばポルトガル王国は、ハプスブルク家自身が王位を継承しちゃったしね。

加えて、ハプスブルク家はカトリックを代表する王家だから、この頃増えてきていたプロテスタントの諸侯とも結婚できない

さらに、戦争で敵対しているフランス王家からはもちろん王妃を迎えるわけにはいかない。

こうして繰り返された近親婚の影響で、スペイン・ハプスブルク家に生まれる子どもは死亡率が高かったそうだ。

 

そして……。

梓

ベルナルド・ストリーゲル『マクシミリアン1世とその家族』

(美術史美術館、ウィーン)

前列の真ん中にいるのは、後のカルロス1世だ。
梓
ア、アゴが……特徴的マボねえ。
カルロス1世の嫡男・フェリペ2世も……。
梓

アントニス・モル『フェリペ2世』(部分)

(エル・エスコリアル修道院、マドリード)

なんか、ちょっとうまいこと隠そうとしていますが、よく見ると、その……アゴが……。
さらに時代が降り、カルロス2世になると……。
梓

クラウディオ・コエーリョ『カルロス2世の肖像』

(ロイヤルコレクション、ロンドン)

 

完全に顎が隠し切れなくなってます、マボ……。

スペイン王国史上、最も痛ましい君主といえば、それはカルロス2世だ

ハプスブルク家の婚姻政策による近親婚のせいだろうか、生殖能力がなく、明らかに知的障害があった。

王朝支配のために肉体的にも精神的にも操られた君主だった

バチカンからマドリードの宮廷へきた教皇大使は、カルロス2世について以下のように述べている。

「顔は醜い。

首も顔も長く、あごがしゃくれている。

下顎前突は典型的なハプスブルク家の遺伝だ。

目はさほど大きくなく、瞳はトルコブルー、皮膚は薄くて柔らかい。

(…)歩く時以外曲がっている体は、精神と同じく弱々しい。

時折聡明で、記憶力に優れ、才気のある様子も見せるが今は違う。

(…)要求されるままに行動し、自らの意思に欠けている

いずれも、マリア・ピラール・ケラルト・デル・イエロ、青砥直子訳(2016)

『ヴィジュアル版 スペイン王家の歴史』(原書房)より

 

結果、カルロス2世を最後に、スペイン・ハプスブルク家は断絶することとなる。

繰り返された近親婚は、お家そのものの終焉を招いてしまい、引いてはスペイン王国そのものの衰退にもつながったんだ。

梓
この特徴的な顎にそんな顛末があったとは……悲しい結末ですね、はて……。

王女・マルガリータ

ちなみに、カルロス2世と母を同じくするマルガリータは、

何の因果かハプスブルク家の遺伝の悪影響は見られず、

美しい絵画としてその姿を現代まで残している。

スペインで最も有名な画家であるディエゴ・ベラスケスの絵画がよく知られているね。

梓

ディエゴ・ベラスケス『青いドレスの王女』

(美術史美術館、ウィーン)

 

ディエゴ・ベラスケス『ラス・メニーナス』

(プラド美術館、マドリード

 

なお、彼女はオーストリア皇帝レオポルド1世に嫁いだそうだよ。
梓
結局、親戚同士で結婚しちゃうワケまぼねえ、はて……。

 

スペイン継承戦争と“ブルボン朝“の誕生

さて、カルロス2世でお家断絶となったスペイン王国。

そこへ、領土拡大を目論むフランスの「太陽王」ルイ14世が接近した

ちなみに余談だけど、ルイ14世は、スペイン王国誕生でピレネー山脈のフランス側にだけ領土を残していたあの「ナバラ王国」の国王でもある。

梓

イアサント・リゴー『ルイ14世』

(ルーヴル美術館、パリ)

 

こうして勃発したスペイン継承戦争には、ヨーロッパの列強が多数入り混じった争いとなった。

戦争の結果、スペイン王家にはフランス・ブルボン家に連なるフィリップが即することで、スペイン・ブルボン家が誕生した。

しかし、スペイン王家とフランス王家が合体することは禁じられた。

また、スペイン継承戦争に参加した諸国に対し、シチリアやナポリなど、イベリア半島以外のヨーロッパの領土を割譲しなければならなくなった

梓
だんだんと、スペインの影響力は小さくなっていったんですね、はて……。
このときに誕生したスペイン・ブルボン家は、現在のスペイン王国の王家にまで連なっている。

また、かつてイベリア半島内で勢力を誇ったアラゴン、カタルーニャ、バレンシアといった地方勢力の権力は、スペイン継承戦争の内乱を機に抑えられた。

この後は、マドリードのカスティーリャ人を中心とした中央集権体制へと移っていく

とは言いながらも、地方ごとにはかつての諸王国時代の独自の文化の色を残すというスタイルが、現在のスペイン王国にも続いていくんだ。

梓

 

まとめ

  • アルマダの海戦やオランダ独立戦争を経て、スペインは国力を落としていく。
  • 近親婚を繰り返した結果、スペイン・ハプスブルク家はカルロス2世を最後に断絶
  • スペイン継承戦争の結果、スペイン・ブルボン王家が誕生し、マドリードの中央集権化が進むなど、現在に続くスペイン王国が形作られた。

 

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  3. レコンキスタとは╿アストゥリアス王国→レオン王国→カスティーリャ王国

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  5. ハプスブルク家「太陽の沈まぬ国」の“黄金の時代“

  6. スペイン継承戦争╿ハプスブルクからブルボンへ

 


 

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  3. 死亡診断書/二重帝国/帝国崩壊とその末裔

 


 

参考資料

  • マリア・ピラール・ケラルト・デル・イエロ、青砥直子訳(2016)『ヴィジュアル版 スペイン王家の歴史』(原書房)

 

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