今回は、イベリア半島のスペインの歴史について見ています。
【スペイン/歴史/簡単に】② イベリア半島へのイスラーム勢力の侵入
前回までの記事はこちらをチェックしてくれ~
イスラーム側からの視点でイベリア半島を見た前回とは反対に、今回はキリスト教勢力がイベリア半島を再征服していく顛末を見ていこう。
目次
レコンキスタとは
国土回復運動? 再征服運動?
世界史の教科書だと、「国土回復運動」と訳されていることもあるね。
「国土回復運動」というわけマボねえ。
「re=再び」「conquista=征服」ということで、
「再征服運動」という訳語が充てられることもある。
「国土回復運動」にせよ「再征服運動」にせよ、
どちらもキリスト教徒側の視点であるのには変わりないんだけど、ちょっと響きが違うよね。
「被害者たちが自分の土地を正当に取り返している!」
という雰囲気があるマボけど、
「再征服運動」だと、
「もう一度侵略するぞ!」
という感じマボかねえ。ちょっとオラオラです、はて。
十字軍の1つ
レコンキスタは、十字軍と何か関係があるのかしらねえ、はて。
ジャン・コロンブ『第1回十字軍によるアンティオキア攻囲戦』
(フランス国立図書館、パリ)
ローマ教皇の呼びかけに応じたキリスト教諸国が、
聖地イェルサレムをイスラーム勢力から奪還しようとした一連の活動のことだね。
これを「狭義の十字軍」とする一方、
「ローマ教皇の呼びかけに応じて、異教徒の地を征服しようとする活動」
の全てを「十字軍」と見なすこともできる。
軍事力による「強制」が異教的フロンティアに対して用いられ、
その際の殺害、掠奪、放火、支配力の簒奪が、キリスト者としての罪なく行われうる、とされた。
それどころか、それはあらかじめ「罪の赦免」をもって奨励されたのである。
繰り返すが、中世の「ヨーロッパ」は、内部にも外部にも十字軍を派遣し、「ヨーロッパ」の純化と形成、拡大を続けていた。
イベリア半島では、イスラム教徒を追い出すための「再征服(レコンキスタ)」が十字軍(思想)と密接な結びつきのうちに展開されつづけた。
そのレコンキスタの延長線上に、アフリカやアメリカがあることは、明らかであろう。
少なからぬローマ教皇が、イベリア半島に住むイスラム教徒を攻撃、支配、掠奪することを、
そしてキリスト教徒に「罪の赦免」をあたえ、
攻撃し、
奪い、
征服することを赦していた。
いずれも、山内進(2011)『北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大』(講談社学術文庫) より
レコンキスタの始まり
反撃開始:アストゥリアス王国の誕生
アストゥリアス王国の国旗
718年、西ゴート王国の貴族・ベラーヨが反乱を起こし、アストゥリアス王国が誕生した。
これが、最初のレコンキスタと言われている。
結構、すぐに反撃開始したんですねえ。
ウマイヤ朝、その後継国家の後ウマイヤ朝が、まだまだ大きな勢力を持っていたのが実際のところだね。
(2021年9月11日閲覧)
オビエドはいまでも、スペインのアストゥリアス州の州都なんだ。
『アルフォンソ2世』
(オビエド大聖堂、オビエド)
ここに建てられた教会・サンティアゴ・デ・コンポステーラはいまでも、
イェルサレム・バチカンに並ぶ、
キリスト教の三大巡礼地で有名だ。
ちなみに、サンティアゴは「聖なるヤコブ」がスペイン語に訛ったものだよ。
レオン王国、カスティーリャ=レオン王国へ
このときに母体となった「レオン王国」が王国の領土を引き継いでいったんだ。
レオン王国の国章
この地域が力をつけると、やがて実質的に独立し、レオン王国の王位も継承するようになった。
結果、レオン王国は「カスティーリャ=レオン王国」、
そして最後には「カスティーリャ王国」と名前を変えていった。
カスティーリャ王国の国章
「カスティーリャ」は、スペイン語で「城」を意味する「カスティーリャ」に由来するといわれる。
レオン王国とカスティーリャ王国の統合⇒分裂⇒統合の流れ
(2021年9月11日閲覧)
⇒レオン王国
⇒カスティーリャ=レオン王国
⇒カスティーリャ王国
と名前を変えながら拡大していったマボね!
カスティーリャ王国を中心に、キリスト教勢力がイベリア半島を奪還していく様子を見ていこう。
まとめ
- キリスト教勢力によるイベリア半島の再征服は「レコンキスタ」と呼ばれ、広い意味での十字軍の一種。
- イベリア半島北西部に生まれたアストゥリアス王国は、レオン王国、カスティーリャ王国と名前を変えながら、国土を拡大していった。
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参考資料
- マリア・ピラール・ケラルト・デル・イエロ、青砥直子訳(2016)『ヴィジュアル版 スペイン王家の歴史』(原書房)
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