何度目かの武田信玄マボ。
この『教養回遊記』に出てくる戦国大名、武田信玄が多めな気が。
さて今回は、海上知明さんの著書『孫子の盲点』を通して、武田信玄と『孫子』の関係を見ていくよ。
『孫子』と『三十六計』
ところでマンボウちゃんは、
「三十六計逃げるに如かず」
ということわざは聞いたことがあるかな。
この『三十六計』というのが、まさに『孫子』のエッセンスを凝縮した36の章のことなんだ。
……この書は、『孫子』を中心として、古今の兵法の要点を、三十六の計謀にまとめ、それらを四字または三字の熟語で表したものです。
湯浅 邦弘(2008)
『孫子・三十六計 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典』
(角川ソフィア文庫)
『孫子の盲点~信玄はなぜ敗れたか?~』
海上知明(2015)
『孫子の盲点~信玄はなぜ敗れたか?~』(ワニ文庫)
「本当なら信玄は出家して頭を丸めているはずなのに髪が生えているぞ!」
という理由で、最近は信玄ではないと言われている。
『武田晴信像』
(高野山持明院)
もともと風林火山とは、『孫子』に出てくる一節なんだ。
「其の疾きこと風の如く、其の徐なること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し」
甲州武田軍の旗頭には、『孫子』軍争篇の一節が記されました。
戦国時代の武将たちに『孫子』が読まれていたことが分かります。
湯浅 邦弘(2008)
『孫子・三十六計 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典』
(角川ソフィア文庫)
武田家ゆかりスポットを通して信玄のエピソードを知りたい人は、こちらをチェックしてくれ~。
信玄は特に、『孫子』について注釈もしていないし、その方面での著述もない。
(中略)
しかし旗印に『孫子』を出典とする『風林火山』を使用するほどの人物が、
『孫子』を軽視したはずがない。
海上知明(2015)
『孫子の盲点~信玄はなぜ敗れたか?~』
(ワニ文庫)
断言と言えば、こんな描写もある。
川中島の戦いで信玄と相まみえたときの謙信の評価だ。
……とはいえ、並の武将であればこの信玄の戦略により包囲殲滅されていたに違いない。
だが、相手は信玄をはるかに上回る軍事的天才・上杉謙信である。
私見では、信玄は戦いに際して五~六手先まで読むが、謙信は十手先ぐらいまで読み解く力を有していた。
おそらく上杉謙信は、世界史上最強と読んでも過言ではない名将中の名将であった。
海上知明(2015)
『孫子の盲点~信玄はなぜ敗れたか?~』
(ワニ文庫)
「信玄は『孫子』に精通していた名将」という仮説を強く信じて、さまざまな事象を信玄の戦に当てはめる、というようにね。
しかし、信玄と『孫子』の共通点を指摘した上で、なぜ信玄が天下を取れなかったのか、次のように解説しているのはとても興味深い。
荒削りでいいのか、着実に漏れがないようにいくのか。
小さな城でさえ最小の被害で落とす震源のやり方は多くの人から絶賛されている。
しかし、これこそが信長が信玄のやり方が参考にならないとしてあざ笑ったものの本質なのである。
人間五十年の時代に、そんな余裕はないというのが、信長の理論である。
信玄を敬愛した徳川家康は長寿であったから天下を取れたのだし、
信玄と同じ『孫子』の信奉者たる毛沢東は『持久戦』を著わしていた。
『孫子』には「時の概念」が欠如していた。
海上知明(2015)
『孫子の盲点~信玄はなぜ敗れたか?~』
(ワニ文庫)
〇家臣団や領国を掌握し領民の心服を受けていた信玄と、
「本能寺の変」をはじめ多数の裏切りにあっている信長
〇農民という共同体の民を兵隊に用いることで一致団結した軍隊を作った信玄と、
弱兵を強化しようとせず弱兵でも使える武器を採用した信長
〇領民からの心服をもとに土地に根差した支配をした信玄と、
家来の忠誠度の低さから兵の分離を選び農民と商工に携わる民とを分け、城下町を作り商業を発達させた信長
〇高い勝率を誇り失敗は少ないものの慎重すぎるあまりに拡大の遅かった信玄と、
失敗をしながらも拡大を続けて信玄を追い抜きやがては信玄の倍の版図を実現した信長
しかし、孫子に通じているからこそ、信玄はその天才的な軍事的才能を発揮するんだ。
まとめ
- 『孫子の盲点』では、信玄の軍事的天才さが『孫子』によるものであることを指摘している。
- 「時の概念」の欠如こそ孫子の盲点であり、軍事的天才さを発揮しながらも天下取りを達成できなかった信玄の限界であると指摘されている
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参考文献
- 海上知明(2015)『孫子の盲点~信玄はなぜ敗れたか?~』(ワニ文庫)
- 湯浅 邦弘(2008)『孫子・三十六計 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典』(角川ソフィア文庫)