今回は新田次郎の歴史小説『武田信玄』の後半戦です。
「川中島の合戦」を経て信濃制覇を進める信玄だが、順風満帆なその人生へ暗い影が差すことになる。
嫡男の謀反と死╿義信逆心
しかし、桶狭間の戦いで義元が討ち取られて以来、信玄は駿河への圧力を強めている。
親今川派にある義信と信玄の間には、軋轢が生じていた。
そして、「志摩の湯」で湯治をする信玄を追放しようと、自分の後見役であり武田家重臣の飯富兵部(おぶ ひょうぶ)へ相談する。
「父は狂人に近い。とても常識あるお人とは思えぬ。
こうなれば、最後の手段を取るよりいたしかたないであろう」
「と申しますと」
「志摩の湯に兵を向けるのだ。
父上を生け捕って駿河に送るよりいたし方がない。
兵部、すぐその準備をするように、なるべくはやい方がいい。
父上が躑躅が崎(武田家の拠点)へ帰館されたら、かえって面倒なことになる」
「どうしても、それを拙者がやらねばなりませぬか」
飯富兵部は眼に涙をためて云った。
新田次郎(2005)
『武田信玄 火の巻』「義信逆心」
(文春文庫)
「この謀反は義信と何ら関係ない」
と遺書を残すも、信玄は自分の息子の初段に迫られ、義信を幽閉する。
やがて、義信は幽閉先で命を落とし、反乱劇は終わった。
信長上洛
織田家はもともと、尾張(愛知西部)の一地方で、尾張を治める斯波(しば)家の家臣だった。
それが7年のうちに、尾張全土に加え、美濃(岐阜)も征服した。
一方、信玄は信濃一国の平定に20年かけている。
新田次郎(2005)
『武田信玄 火の巻』(文春文庫)
覇を唱えるため天下に号令しようと京都へ上ることは信玄の夢だった。
その信玄を尻目に、信長はあっさりと京都へ向かってしまう。
信玄は、もう我慢ができない気持だった。
信長が義昭を傀儡将軍として天下に号令を下すのは時間の問題であった。
「あの半国の大名が、氏素性もはっきりしないあの織田信長が」
信玄は口惜しかった。
源氏の直系としての武田家と、
斯波氏の被官人だったということしか分っていない織田家とは家柄から云っても比較にならなかった。
その信長の桶狭間以来の発展ぶりからおし測ると、全国統一も不可能ではないことのように思われた。
新田次郎(2005)
『武田信玄 火の巻』「信長上洛」
(文春文庫)
その病状はますます進行していた。
そんな自分を尻目に、若き信長は実力を伸ばしていく。
病を前に、信玄の焦燥は深まっていく。
北条家との戦い╿三増峠の戦い
これは、相模の北条家との関係の破綻も意味していた。
北条家上杉と越相同盟を締結、武田氏に対抗する。
しかし小田原城は、かつて上杉謙信が10万以上の兵力で落とせなかった堅城。
北条氏が小田原城を出ることはなく、信玄もまた撤退を余儀なくされた。
甲斐に帰国しようとする武田軍は、三増峠(みませとうげ)で北条軍の待ち伏せに遭う。
そこへ、小田原の北条本体が武田軍を挟み撃ちにするという作戦だった。
新田次郎(2005)
『武田信玄 火の巻』(文春文庫)
鉄砲の号砲が鳴り響き、武田の将兵たちは歓声を上げる。
緒戦では苦戦したが、終わってみれば武田軍の勝利だった。
こうして、北条家との戦いも有利に進める信玄は、
いよいよ自らも京へ上る「西上作戦」への思いを強め、
そして物語は最終巻の『山の巻』へと向かうことになる。
まとめ
- 嫡男・義信の逆心を信玄は退ける
- 信長が京都へ上るのを見て、信玄は焦りを募らせる
- 三国同盟を破棄し、信玄は北条家との戦いの末、西上作戦を見据える
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