今回は、信玄公にまつわる史跡を回遊しています。
前回までの記事はこちらをチェックしてくれ~。
目次
信玄公にまつわる2つの墓所╿圓光院と名もなき火葬塚
正室・三条の方の菩提寺「圓光院」
なんだか含みがあるような。
三条の方は貴族の性悪娘として描かれることが多いんだ。
しかし、実際はそうではなかったと……。
お寺としても、汚名をそそいであげたかったのだろうね。
ひっそりとした信玄公のお墓
この辺は、ただの路地なのに。
数奇な運命をたどる善光寺如来
甲斐善光寺
(山梨県、甲府)
善光寺って、長野県のお寺じゃないんですか
だから信州と区別するために『甲斐善光寺』だとか『甲州善光寺』だとか呼ばれる。
善光寺
(長野県、長野)
実は、川中島の合戦のときに焼失するのを恐れた信玄公が甲斐善光寺へ移した経緯がある。
織田家の岐阜善光寺へと移されてしまうんだ。
そのあとの慶長伏見地震で京都の方広寺の大仏が倒壊すると、大仏の代わりとして京都へ。
すったもんだの末、信州の善光寺へと帰ったらしい。
〇 善光寺
⇒(川中島の合戦で)甲斐善光寺
⇒(織田家により武田家滅亡)岐阜善光寺
⇒(本能寺の変で)甲斐善光寺
⇒(慶長伏見地震で)京都 方広寺
⇒(いろいろあって)善光寺へ戻る
信玄公ゆかりのお寺、恵林寺
ここは信玄公の菩提寺だ。
信玄公が生前のときから深く帰依していた場所でもある。
『心頭滅却』はそのときに快川紹喜が遺した辞世の言葉だ、
と言われている。
武田氏代々が祀る地 武田八幡宮
甲府市内から少し離れて韮崎までやってきた。
ここは武田氏が代々崇敬してきた八幡宮だ。
あくまで信玄公のみを祀っている。
この武田八幡宮が武田の地、ひいては武田氏の姓の由来ともなっていったんだ。
まとめ
- 正室・三条の方は「圓光院」に祀られている
- 信玄公自身のお墓は路地裏にひっそりと。信玄公の菩提寺は、恵林寺。
- 善光寺如来は甲斐へ岐阜へと数奇な運命を辿り、いまでは信濃の善光寺に
- 韮崎には武田家代々ゆかりの神社、武田八幡宮が。
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基本情報
臨済宗妙心寺派 瑞巌山円光院
≫http://www16.plala.or.jp/enkoin/
〒400-0013 山梨県甲府市岩窪町500
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TEL:055-253-8144
甲斐 善光寺
≫http://www.kai-zenkoji.or.jp/
〒400-0806 山梨県甲府市善光寺3丁目36−1
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TEL:055-233-7570
乾徳山 恵林寺
〒404-0053 山梨県甲州市塩山小屋敷2280
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TEL:0553-33-3011
武田八幡宮
≫https://www.takedahachimanguu.com/
〒407-0042 山梨県韮崎市神山町北宮地1185
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