
今回は、和歌山県の田辺の町を回遊しているうちに、鬪雞(とうけい)神社へと辿り着きました。
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源平合戦に由来╿鬪雞神社の概要
紀伊田辺駅は和歌山駅から特急くろしおに乗れば、およそ1時間20分で到着するよ。
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皇族や貴族が熊野へお参りに来るときは、まず鬪雞神社に参拝したそうだよ。
そんないわれもあって、熊野信仰の一翼を担っているという観点から、
鬪雞神社は2016年10月に世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』へ追加登録された。
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しかし、どうして神社に『闘鶏』の名前がついているんですか。
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そこで、武蔵坊弁慶の父であると伝えられる湛増(たんぞう)が、
どちらに味方をするかの神意を確認するため、
赤い鶏を平氏、白い鶏を源氏に見立てて闘鶏をしたんだ
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それで結果はどうなったんですか。
熊野水軍を率いて壇ノ浦へ出陣した、というわけだ。
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静かな境内をぶらり
あちらこちらに鶏が




本殿と「神仏習合」


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仏教が日本で根付くうちに、
「仏教の仏さまと日本古来の神様は、実は同一人物だった!」
という考えが生まれたんだ。
これは、神仏習合(しんぶつしゅうごう)という考えに基づく。
というわけで、イザナミノミコトは阿弥陀如来と同一と見なした、ということ。
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神仏習合の記事を見たい人はこちらをチェックしてくれ~

さて、これら社殿以外にも、さまざまな神様が境内では祀られているよ。
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境内のさまざまな神様

水の神さまだから、神社では池の近くで弁天さまのお社を立てていることが多いね。
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紀州藩は徳川御三家の一つだったから、家康の信頼が厚く実力のある安藤直次が、紀州藩の家老として派遣された。
田辺はあくまで紀州藩の一部だけれど、あたかも一つの藩であるかのように振る舞えるほど、かつては力を持つ地域だったんだ。
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まとめ
- 熊野信仰の一翼を担っているという観点から、鬪雞神社は2016年10月に世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』へ追加登録された。
- 武蔵坊弁慶の父であると伝えられる湛増が、源平どちらに味方をするかの神意を確認するための闘鶏に由来する。
基本情報
公式HP 田辺探訪(和歌山県田辺観光協会):闘鶏神社
〒646-0029 和歌山県田辺市東陽1−1