今回は、法隆寺にやってきています。
目次
聖徳太子が斑鳩の地に建てた寺
南大門
1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界文化遺産に登録されたんだ。
松の翠の美しい矢田丘陵を背に、大和平野を広々と見渡す斑鳩の里に聖徳太子が斑鳩宮を造営されたのは推古天皇9年(601)。
ほどなく太子は、ここに亡き父用明天皇のため寺の造立を発願され、推古15年(607)ごろに完成したのが法隆寺です。
太子は中国の優れた政治や文化、とりわけ仏教を積極的に取り入れ、
四天王寺、中宮寺、広隆寺などの寺々を建立し、
冠位十二階や憲法十七条の制定、遣隋使の派遣などによって国の発展を計られましたが、
惜しくも推古30年(622)49歳のとき、人々の悲嘆のうちに薨去されました。
(中略)
法隆寺はその後も太子を慕う人々によって護持されたと伝えますが、
『日本書紀』によると天智9年(670)、一屋余す事無く焼失したと記されています。
しかし間もなく再建が進められ、遅くとも奈良時代の初頭までには飛鳥時代の様式で中心伽藍が復興され、
やがて旧にも増した寺観が整えられたのが、世界最古の木造建築群として知られる現在の西院伽藍です。
それでも世界最古の木造建築物とは、驚きマボよ!
ところで、ホームページの「聖徳宗」って何マボか。法隆寺の宗派マボか、はて。
世界最古の木造建築物/西院伽藍
南大門~中門
中門
両脇には仁王像が控えているね。
現在は、西院伽藍に入るには脇に用意された入口から入る流れになっているよ。
西院伽藍:五重塔
五重塔
さて、一番下の階層の内部を覗くと……。
五重塔最下層の心柱の四方には塑土で洞窟のような舞台を造り、
釈迦に関する四つの説話から四つの場面を塑像の小群像で表しています。
塔本塑像と呼ぶこの群像は塔の完成の後、和銅4年(711)に造られたものです。
この東面「維摩詰像土」は維摩経に説かれた場面で、病の維摩居士を文殊菩薩が訪ね問答をはじめます。これを聞こうと、仏弟子たちが集まった様子を表現しています。
マンボウちゃん、抜け目なく気づいたマボよ~ひょっひょっひょ、有能マボね~
夢殿の世界/東院伽藍
東院伽藍はもともと、聖徳太子一族の住居だった斑鳩宮の跡に建立されたんだ。
西院の東大門をくぐると、広い参道の正面に東院伽藍が現われて、甍の上には見事な夢殿の宝珠が輝いています。
ここは聖徳太子の斑鳩の宮の跡で、
朝廷の信任厚かった高僧行信(ぎょうしん)が宮跡の荒廃ぶりを嘆いて太子供養の伽藍の建立を発願し、
天平20年(748)に聖霊会(しょうりょうえ)を始行したとされる太子信仰の聖地であります。
高い基壇の上に立つ八角円堂の夢殿は東院の本堂で、天平創建の建築でありますが、
鎌倉期の寛喜2年(1230)に大改造を受け、
高さや軒の出、組み物などが大きく改変されているものの、古材から天平の姿に復元することもできるほど古様を残しています。
この均整のとれたフォルム、
外側へ広がっていこうとする屋根の下で、
その形状をつなぎとめようとしている八角形の緊張がすばらしいと思わない?
法隆寺の仏たち
西院伽藍の仏たち
金堂には、
「釈迦三尊像」
「薬師如来像」
「阿弥陀三尊像」
といった仏像が安置されている。
金堂内陣の広い須弥壇(しゅみだん)には、
飛鳥彫刻を代表する釈迦三尊像を始め、
薬師像や四天王像のほか、
鎌倉期に造られた阿弥陀三尊像や平安期の毘沙門・吉祥天像が安置され、
また釈迦・薬師・阿弥陀像の頭上には、それぞれ華麗な天蓋(てんがい)が吊り下げられています。
端厳ななかに穏やかなほほ笑みをたたえた釈迦三尊像(鞍作止利(くらつくりのとり)作)の精緻な光背の裏面には、推古30年(622)に聖徳太子が発病され、
また薨去されるにあたり、その病気平癒と成道を願って造られた太子等身の像が、その翌年に止利仏師によって完成したことなどが刻まれております。
つまりこの像は、釈迦の像でありながら聖徳太子その人の像でもあるわけで、法隆寺が太子菩提の寺でもあることを物語っています。
腰から下で波打つような裳とは対照的に、
うねるような動きは無い左右対称の姿が二等辺三角形のプロポーションとして収まっていることや、
ほっそりとした顔に浮かべられる柔和なアルカイックスマイル……
飛鳥時代の、落ち着いた仏像様式の特徴が表れているね。
鎌倉時代に造られた阿弥陀三尊像と実際に見比べてみると、そのふくよかな顔や笑みの消えた表情から違いが感じられるよ。
大宝蔵院の仏たち╿百済観音像
タマムシの羽を集めて装飾されたことで有名な「玉虫厨子」や、
悪夢を良い夢に替えてくれるという伝説を持つ「夢違観音(ゆめたがいかんのん)」などもあるけど、
一番の仏像は百済観音だね。
その側面に長れるような衣も流麗だ。
ほっそりとした身体に見下ろされ、仏の視線がまっすぐ、しかし柔らかく自分に注がれているような気持ちにさせられるんだ。
東院伽藍の仏たち
聖徳太子の等身像と伝えられる救世観音像は、行信が夢殿建立のときに本尊として迎えた霊像です。
楠の一木造りで漆箔が施され、長く秘仏として厳重に奉安されてきたために金銅仏と見まがうような輝きをみせています。
すると、「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」といって、多くの仏像が破壊されてしまったんだ。
その破壊活動が収まりつつあったころ、お雇い外国人であったフェノロサとその受講生である岡倉天心は日本のお寺の仏像の調査を始めた。
そのときに発見されたのが、この「救世観音」だったんだ。
フェノロサと天心は法隆寺と交渉を重ね、夢殿内の秘仏・救世観音の厨子の鍵を開けたのである。
彼等は塵埃に難渋しながら丁寧にまかれた木綿を取り除いた。
その時「そこに世界無二の驚嘆すべき彫像が自分の目の前に現れた」(フェノロサ著『東洋美術史網』)のである。
有名な救世観音の再発見である。
金子啓明(2012)
『アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい法隆寺の仏たち』(東京美術)
まとめ
- 法隆寺は聖徳太子が建立した。一度焼失しているものの、それでも世界最古の木造建築物としてユネスコの世界遺産に登録されている。
- 西院伽藍の五重塔と東院伽藍の夢殿の建築美を味わおう! ただし、少し距離は離れていますので、時間には気を付けて。
- 「釈迦三尊像」「百済観音」といった飛鳥時代を代表する仏像や、明治時代に「再発見」された救世観音といった日本を代表する仏像たちと出会える。
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参考資料
- 金子啓明(2012)『アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい法隆寺の仏たち』(東京美術)
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