森博嗣『孤独の価値』を頼りに探る人生の豊かさ╿モダニズムを越えた先の自由を考える②

こんにちは、はてはてマンボウです。
今回のシリーズ記事では「『現代』を豊かに生きるためには」を考えているそうです。壮大なテーマまぼねえ。


さて前回の記事では、我々は「宗教」「伝統」といった「大きな物語」から脱出したように見えて、その実、「システム」というより徹底された「大きな物語」の中で生きているのではないか、という現実について考えてきた。

もう少し詳しいところをミヒャエル・エンデの児童書『モモ』で、まずは見ていくことにしよう。

梓

『モモ』で見る、我々を支配する「システム」

ミヒャエル・エンデ、大島かおり訳(2005)『モモ』(岩波書店)

あ、『モモ』まぼ。有名な児童書マボよねえ。なんだか、考えさせられるような内容だった記憶が。
「灰色の男たち」と呼ばれる時間泥棒にそそのかされた人々は、節約した時間を時間泥棒たちに盗まれる一方、時間を節約する日々に駆られ心の豊かさを失っていく……そんな描写で有名だ。

その『モモ』について、心理学者の河合俊雄はこんな解説をしている。

梓

河合俊雄(2020)『NHK100分de名著 モモ』(NHK出版)

私たちは時間が節約できて得をしたと思っていても、結局は企業の利益や国家の方針などシステムのために利用されているのです。いや、これは時間に限った話ではないかもしれません。

この構図は、現代においてさらにリアリティを増しています。GAFAと呼ばれる巨大プラットフォーマーとユーザーの関係がまさにそうでしょう。ユーザーは無料で提供される便利なツールを使えるようになり、得をしていると思いがちですが、その使用履歴はデータとしてプラットフォーマー側にわたり、企業は莫大な利益を得ています。そして、蓄積されたデータをもとに新しいサービスや製品がつくられ、私たちはそれを与えたり買わされたりしています。つまり、人間がツールを使っているのではなく、人間がシステムに使われているのです。これは、自分のために時間を貯蓄したはずが、実は灰色の男たちに全部盗られているという構図とまったく同じです。

私たちは便利になったと思っているが実際はシステムに利用されており、結局個人は幸せにならない。

河合俊雄(2020)『NHK100分de名著 モモ』(NHK出版)

お、恐ろしい話マボよ……。
SNSで個人は好きなことを発信できるようになった。昔よりも簡単に情報へ触れられるようになった。
しかし見方を変えればそこには「みんなが同じようにインターネットを利用している」状況だ。
「普遍的な」「統一的な」「均一的な」という近代のキーワードを我々は引きずったままとも言える。

それは、果たして「楽しい」世界だろうか。「自由な」世界だろうか。

梓

孤独の価値

寂しさの価値

森博嗣(2014)『孤独の価値』(幻冬舎新書)

さて、小説家・森博嗣は『孤独の価値』において、寂しさの意義について語っている。
梓
寂しさ? なんか、あんまりいいイメージないマボけど。

「じゃあ、寂しいとなにか良いことがある?」そう尋ねる人もたぶんいるだろう。

それが、実はある。いろいろな面で、そういうことが実際にある。わかりやすい話をまずすると、「賑やか」なのは良いこと、その反対の「寂しい」のは悪いこと、というように一般に捉えられているけれど、この場合の「寂しい」というのは、「静かで落ち着いた状態」というふうにも言い換えられる。パーティなどは賑やかだが、茶室の中は静かだ。日本古来の伝統美には、「わび、さび」の精神があることはご存じだろう。これは、つまり「侘(わび)しい」こと、「寂しい」ことだ。

(中略)

なかには、「寂しいといろいろ考えてしまって余計に憂鬱になる」と言う人もいる。この言葉が示しているのは、「賑やかなところではなにも考えなくて良い」という点である。もしかして、人は思考停止を本能的に望んでいるのだろうか、と思えるほどである。

森博嗣(2014)『孤独の価値』(幻冬舎新書)

みんなが同じように利用している「システム」は、みんなが使っている「賑やかな」ものだ。
だけどこの賑やかさに安心して思考停止する人間は、やがて「システム」という「大きな物語」に支配されるようになる。
梓
なんと! 話がつながっています!
徹底された近代を脱出するためには、「寂しさ」に手がかりがあるような気がしてきたね。もう少し、著書を深掘りしてみよう。
梓

個人主義に対する拒否反応

森博嗣は、大勢の人間が協調して社会ができていることを認めつつも、孤独でも生きていける仕組みが現代社会では成り立っている事実を指摘し、次のように語っている。
梓

大勢の仲間に囲まれて生きていきたい人は、もちろんそうすれば良い。そして、そうではなく一人でひっそりと生きていきたい人も、それができるようになったということだ。両者は共存できるのである。

ところが、まだ古い考えがあちらこちらに残っていて、群れを離れようとする一人に、非難の目を向ける人たちがいる。自分たちと同じ価値観ではないことが気に入らない人たちだ。(中略)なにか理不尽な犯罪が起こるたびに、犯人は引き籠りだった、犯人は孤独な人間だった、犯人はオタクだった、犯人はネットの中だけで生きていた、そんなふうに報道するのが、その証だろう。犯人は会社員だった、犯人には友達が沢山いた、犯人には家族がいた、というのとは違う響きが、そこには感じられる。何故だろうか、と考えてほしい。

森博嗣(2014)『孤独の価値』(幻冬舎新書)

たしかに、孤独さに悪いイメージを感じてしまいがちマボ。
本来、「孤独」であるのも「賑やか」であるのも、それぞれに価値があるものだと思う。
それを、「つながるのは良いことで、孤独なのは悪いことだ」とするのは、一見他人を受け入れているようで、その実孤独な人間を認めない「統一的な」「均一的な」世の中だ。
梓

孤独とは自由の獲得である

そして森博嗣は、自由を獲得するためには孤独を受け入れる必要があると説いていく。
梓

孤独を受け入れることは、つまりは、自由になることである。周囲に仲間がいるうちは、ある程度歩調を合わせなければならない。愛情も友情も、楽しいときもあるかもしれないが、確実に貴方を縛るものだ。つまりは、「絆」である。絆、というのは、家畜が逃げないように脚を縛っておく縄のことだ。人間に飼われている家畜は、孤独ではないが、自由にどこへでも行けるわけではない。逆に、絆が切れれば、孤独と自由が手に入る。

森博嗣(2014)『孤独の価値』(幻冬舎新書)

絆の悪い面なんて、考えたこともなかったマボ。
絆から離れた孤独な世界は「大きな物語」の外側だ。
普遍的でなく統一的でもない世界には、不便さがある。「自分が何をしたいか」がわからなければ、自由な世界はかえって苦痛かもしれない。
それでも、寂しい空間と時間の中で自分のやりたいことを自分の頭で考え、そして実行できる。その「孤独の価値」こそ、近代のその先の豊かさを獲得するための1つの手がかりかもしれないね。
梓

まとめ

  • 「時間を節約している」「便利になっている」世の中で生きているわれわれは、実際にはシステムに利用されており、結局個人は幸せにならないことが、『モモ』を通してうかがえる。
  • 森博嗣は賑やかな世界で人は思考停止に陥ると指摘し、「逆に、絆が切れれば、孤独と自由が手に入る」と指摘した。
  • システムに縛られる「徹底された近代」である現代において、「孤独の価値」こそ、近代のその先の豊かさを獲得するための1つの手がかりかもしれない。

参考文献

  • 河合俊雄(2020)『NHK100分de名著 モモ』(NHK出版)

  • ミヒャエル・エンデ、大島かおり訳(2005)『モモ』(岩波書店)
  • 森博嗣(2014)『孤独の価値』(幻冬舎新書)

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