【近代とモダニズム】①現代はポストモダンではなくモダンの延長?リオタールとギデンズが語る「近代の現在」

こんにちは、はてはてマンボウです。

今回は……はて、タイトルからして難しそうな内容。

モダニズム、はて

今回は「現代」の豊かな生き方について考えていく。

たしかに小難しい話かもしれないね。

「現代」という時代を考えるために「モダニズム」すなわち「近代」とは何かを見ていこう。

梓
みんな~マンボウが倒れても、しっかりついていくマボよ~

 

「現代」とは「ポスト・モダン」か

モダニズムとポスト・モダニズム

……と言ったものの、いきなり難しい言葉が。

モダニズム、ポスト・モダニズム……はて。

「モダニズム」は現代風、「ポスト」は次に、ぐらいの意味だ。
梓
それじゃあ「ポスト・モダニズム」は「現代の次」マボか? はて。
「モダニズム」というのは20世紀初頭に出てきた考え方なんだ。

今風、今風と言っていたのも、数十年も過ぎれば古びてくるよね。

何十年前にできた駅でも「”新”大阪駅」と言ったりするのと一緒。

梓
たしかにマンボウ!
そこで、「20世紀初頭のモダニズムのその先」として「ポスト・モダニズム」という考えが生まれたんだ。

この言葉は1970年代に建築やデザイン分野で使われ始め、のちにフランスの哲学者たちによって思想的概念として広まった。

梓

 

ポスト・モダンと「大きな物語」

ジャン・フランソワ リオタール 、小林 康夫訳(1986)

『ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム』 (書肆風の薔薇)

 

「ポスト・モダニズム」のことを「ポスト・モダン」と言ったりする。

その解釈にはいろいろな考えがあるんだけど、

フランスの哲学者であるリオタールが書いた『ポスト・モダンの条件』では、

「ポストモダンとは大きな物語の終焉」と説明されている。

梓
大きな物語?
一昔前の「モダン」の世界までは、キリスト教のような宗教だったり地域の伝統だったりと、「みんな共通の価値観」があった。これが「大きな物語」

このような共通の価値観が影響力を失いつつある時代こそ、「ポスト・モダン」。

つまり、「大きな物語の終焉」というわけだ。

梓

 

いまも生きている「大きな物語」

たしかに、昔の人ほど仏教を信じていたり、みんなで村の風習を守っていたりしている人は減っているような。
だけど、本当に大きな物語は終わったと言えるだろうか。
梓
はて。
たしかに「宗教」とか「伝統」みたいな、多くの人をまとめていた古くからの価値観は無くなってきた。

だけど、我々の暮らしぶりが豊かになるのにあわせて、

「みんなと同じサービスを受けるのは当たり前」

になってきたんじゃないかな。

ある程度の街に行けば「電車や病院はどこにでもある」「水や電気はどこでも利用できる」生活ができる。

むしろ『水や電気のない生活は考えられない』と感じる人が多数を占めているはず。

梓
たしかに!

新しい「みんな共通の価値観」が生まれているマボ!

そして、こういうふうに「だれでも同じ生活ができる」時代を推進することを「近代化」と呼んできたのであれば……

むしろ、近代はより徹底されていると言えるのではないか。

梓

 

徹底される「近代」

『近代とはいかなる時代か』

アンソニー・ギデンズ 、 松尾精文ほか訳(1993)

『近代とはいかなる時代か? ─モダニティの帰結─ 』 (而立書房)

 

そのような「近代の徹底」について言及したのが、アンソニー・ギデンズだ。
梓

 

 

われわれは、

ポスト・モダニティの時代に突入しているのではなく、

モダニティのもたらした帰結がこれまで以上に徹底化し、

普遍化していく時代に移行しようとしているのである。

 

アンソニー・ギデンズ 、 松尾精文ほか訳(1993)

『近代とはいかなる時代か? ─モダニティの帰結─ 』 (而立書房)

 

 

なんだか得体のしれない大きなシステムに支配されているような感じマボ……
結局、我々は「システム」という、より徹底された「大きな物語」の中で生きている。

それでは、我々はこの「近代」の延長線上で生き続けるしかないのだろうか。

次回の記事で考えてみよう。

梓

 

まとめ

  • 20世紀初頭の「モダニズム」の先の時代を捉える考えとして「ポスト・モダニズム」の思想が生まれた。
  • フランスの哲学者であるリオタールは「ポストモダンとは大きな物語の終焉」とした。
  • 一方、ギデンズは「現代は、ポスト・モダンではなく、むしろモダニズムを徹底した時代だ」と指摘している。

 

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参考文献

  • アンソニー・ギデンズ 、 松尾精文ほか訳(1993)『近代とはいかなる時代か? ─モダニティの帰結─ 』 (而立書房)

  • ジャン・フランソワ リオタール 、小林 康夫訳(1986)『ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム』 (書肆風の薔薇)