今回は、東ローマ帝国、すなわちビザンツ帝国の歴史について見ています。
ビザンツ⑧│ヴェネツィアに唆された第4回十字軍/なぜ、コンスタンティノープルへ?
前回までの記事はこちらをチェックしてくれ~
オスマン帝国による正真正銘の「ローマ帝国」の滅亡を見ていこう。
地方領主への没落
一方、バルカン半島に拡大してきたのが、アナトリアの一国家であったオスマン侯国だった。
オスマン侯国のバルカンへの進出のきっかけは、遊牧民の移動の波の延長線上にあるものではなく、雇い兵軍団としての登用であった。
ビザンツ帝国は、目前の敵の敵と手を結ぶこと、そして巧妙な同盟のバランスをつくりだし、そのなかでキーパーソンとして存在を発揮することを旨としていたが、オスマン侯国も、こうしたビザンツ帝国の政策にのって、バルカンにおけるビザンツの後継者を争う政治過程に参加するチャンスを得たのである。
そして一〇〇年ののち、ビザンツ帝国の実質的な後継者の地位を得ることになる。
ビザンツ皇帝がはじめてオスマン侯国の君主オルハンと直接会ったのは一三三三年のことといわれる。
すでにニカイヤを征服し、続いてニコメディアを包囲していたオルハンをビザンツ皇帝アンドロニコス三世が自ら尋ね、貢納金の支払いに同意している。
林佳世子(2016).
興亡の世界史 オスマン帝国500年の平和 講談社学術文庫.
もはやビザンツ国家の君主は、ギリシア人の自称「皇帝」にすぎなかった。
彼らは西欧人やトルコ人を「バルバロイ(※)」と呼べる立場にはない。
※(注)古代以来の、ギリシア人の他民族への蔑称。「訳の分からない言葉を話す人」の意で、「野蛮人」のニュアンスも含む。 英語の「barbarian(野蛮人)」の語源。
いかに自らのことを「デスポテス」(専制君主)とか「セバストス」(尊厳者)と称してみても、
その実態はオスマン帝国のスルタンに臣従・貢納する地方領主ないし君侯レベルの存在であった。
ただ一つだけ誇れる点が残っているとすれば、それは「都市の女王」コンスタンティノープルを保持していることである。
けれども、古代にさかのぼる難攻不落の聖なる都も「バルバロイ」に明け渡す日が迫りつつあった。
中谷功治(2020).
ビザンツ帝国-千年の興亡と皇帝たち 中公新書.
メフメト2世によるコンスタンティノープル包囲戦
ジェンティーレ・ベッリーニ『メフメト2世肖像』
(ナショナル・ギャラリー、ロンドン)
かつてバヤズィト一世は緩やかな包囲を敷き、兵糧攻めに持ち込もうとしたが、予想外に長引き、失敗した。
市域の広いコンスタンティノープルは長期戦に耐え抜くことができたからである。
また、その規模ゆえに長期にわたって全周を包囲しつくすことは難しかった。
この経験に即し、メフメト二世は短期決戦の手法を選んだ。
特に陸側の城壁を大型大砲その他の最新の武器で徹底的に攻め、一〇万(一六万とも)対総数八〇〇〇~九〇〇〇といわれる絶対的な兵員の差にものをいわせ、短期間に攻め落とそうとする作戦である。
(中略)
開戦直後にヴェネチア海軍に対し海軍力で劣ることが明確になると、海戦を避け、船団を陸に引き上げ、背後の丘陵を超え金角湾内に船を入れるという奇策も用いられた。
陸海からの攻撃は労力、資金を惜しまぬ総力戦だった。
この征服戦の遂行にはスルタン側近中にも反対者がおり、失敗はすなわち、スルタンの権威の失墜につながりかねない情勢だった。
作戦を陣頭指揮したスルタンにとっても命運のかかった決戦だったといえよう。
林佳世子(2016).
興亡の世界史 オスマン帝国500年の平和 講談社学術文庫.
最後の皇帝・コンスタンティノス11世
コンスタンティノス11世像
(国立歴史博物館、アテネ)
Wikipedia”Constantine XI Palaiologos”(2023年1月28日確認)
都を落ち延びることもできたけれども、コンスタンティノス11世は、抵抗を続けた。
しかし、1453年5月、オスマン軍がコンスタンティノープル市内に侵入。
コンスタンティノス11世は、皇帝の衣装を脱ぎ捨て、自ら突撃した。
「誰か朕の首を刎ねるキリスト教徒はいないのか!」と叫び、オスマン軍の中へと姿を消した。
こうして、紀元前753年以来にローマが建国されて以来、カエサル・アウグストゥスを経て帝国となりヨーロッパに君臨してきた「ローマ帝国」は滅亡した。
まとめ
- バルカン半島に進出してきたオスマンに貢納するビザンツ帝国は、地方君主並みの立ち位置に没落
- メフメト2世のコンスタンティノープル包囲によりビザンツ帝国は窮地に
- 最後の皇帝・コンスタンティノス11世がオスマン兵の中に姿を消したことで、ビザンツ帝国は滅亡
参考資料
- 中谷功治(2020).ビザンツ帝国-千年の興亡と皇帝たち 中公新書.
- 林佳世子(2016).興亡の世界史 オスマン帝国500年の平和 講談社学術文庫.
参考記事
気になる記事からチェックしてくれ~。
コメントを残す