【スペイン/歴史/簡単に】② イベリア半島へのイスラーム勢力の侵入

こんにちは、はてはてマンボウです。

今回は、イベリア半島のスペインの歴史について見ています。

 


 

 


 

今回からは、キリスト教国の西ゴート王国にとってかわるイスラーム勢力について見ていくよ
梓

 

ウマイヤ朝の遠征とイスラーム・スペイン国家の形成

いきなりマボけど、イスラーム教の勢力が、なんでイベリア半島に来たマボか?

イベリア半島はヨーロッパのはずマボ!

よくわかりませんが、いまのイラクとかイランのある辺りからは、随分と離れているはずなんじゃ?

前回のカルタゴの話を思い出して。

アフリカ大陸の北岸と、イベリア半島って、案外近い地域だったよね?

梓
はてはて、メモをっと……

えーっと、たしかフェニキア人とかいう人たちが、地中海をうろちょろして作ったのが、カルタゴだったような……。

そのとおり!

そして、イスラーム勢力も、アフリカ大陸沿いにイベリア半島まで侵入してきた、というわけなんだ。

梓

 

ウマイヤ朝の支配地域

Wikipedia「ウマイヤ朝」の図に加筆の上、作成

2021年9月5日閲覧)

 

今のシリアの首都・ダマスカスに拠点を置く「ウマイヤ朝」と呼ばれるイスラームの王朝は、アラビア半島からアフリカ大陸を経て、ジブラルタル海峡を越え、イベリア半島まで乗り込んできた。
梓
ひょ、ひょええ~!

とんでもなく巨大な帝国マボ!

この巨大なイスラーム帝国に、イベリア半島までもが飲み込まれた、というわけマボね……。

ウマイヤ朝から後ウマイヤ朝へ

イベリア半島に侵入したイスラーム勢力は、その後も北進を続けるけれど、フランスとの国境であるピレネー山脈の向こうまで勢力を広げることはできなかった
梓
でも、イベリア半島には、ウマイヤ朝のイスラーム勢力は留まったままマボよね?
そのとおり。

やがて、本家本元の首都・ダマスカスでの反乱を受けてウマイヤ朝が崩壊すると、王族の一員がイベリア半島へ逃げてきたところで王朝再興を宣言する。

アラビア半島やアフリカ大陸に影響力を発揮することはできなかったけれど、イベリア半島一帯は支配することができた。
ウマイヤ朝の後継国家なので、「後ウマイヤ朝」と呼ばれる。

梓
そうすると、しばらくイベリア半島では、この後ウマイヤ朝が繁栄するマボか?
たしかに、756年の建国以後、200年間は拡大を続ける。

しかし、やがて王族と宰相の争いから帝国が衰退していき、最終的には各地の豪族が乱立する群雄割拠の時代となってしまうんだ。

梓

タイファ時代

後ウマイヤ朝滅亡後のイベリア半島に乱立したイスラム教諸王国は「タイファ」と呼ばれる。
梓

Wikipedia「タイファ」『1031年のイベリア半島』より

(2021年9月5日閲覧)

〇タイファの代表的な王国

  • セビージャ王国(南西部)
  • サラゴサ王国(北東部)
  • バレンシア王国(東部)
  • トレド王国(中央部)
  • グラナダ王国(南東部)

 

※レオン、パンプローナ、アラゴン、カスティージャ、バルセロナはキリスト教勢力

 

こうして見ると、有名なスペインの観光地の多くが、イスラームの王国だったということがよくわかりますねえ。
タイファが分裂を続けていた一方、イベリア半島ではキリスト教勢力の巻き返しが始まりつつあった。

するとタイファは、キリスト教勢力に滅ぼされたり
北アフリカのイスラーム勢力に助力を求めているうちにかえって支配下に入れられたりしているうちに、1つ、また1つと、徐々に消えてなくなっていく。

梓

ナスル朝グラナダ王国:イベリア半島のイスラーム最後の王国

ナスル朝は、タイファの1つとして13世紀に生まれた。

イベリア半島南部を支配していた北アフリカのイスラーム王朝がイベリア半島から撤退したとき、力の空白地帯に生まれた王朝がナスル朝だった。

梓

 

Wikipedia「ナスル朝」より

(2021年9月5日閲覧)

ナスル朝は、都をグラナダに定めたので「グラナダ王国」とも呼ばれる。

この頃にはイベリア半島の多くがキリスト教勢力の支配下に置かれつつあったんだけど、ナスル朝はキリスト教国に貢納したり支配地を譲ったりしながらも、どうにかその命脈を保っていたんだ。

梓
王朝を保つためには、なりふり構っていられなかった、というわけマボねえ。
しかし、キリスト教勢力への領土の割譲や内紛によって国力を落とすと、ついに1492年、グラナダは陥落し、イベリア半島最後のイスラーム勢力は滅ぶことになるんだ。
梓

フランシスコ・プラディーリャ・オルティス『グラナダの降伏』

(セナド王宮、マドリード)

 

ちなみに、グラナダ王国の陥落は1492年の1月2日。

そして、1492年はコロンブスの新大陸到達と同じ年でもあるんだ

グラナダ王国の陥落でイスラーム勢力との争いに一区切りつき、財政的に余裕のできたキリスト教勢力が、コロンブスを航海へ送り出せたともいわれている

梓

 

アル・アンダルスとアンダルシア

アル・アンダルスとアンダルシア

さて、イベリア半島の中でイスラーム勢力の支配権にあった地域は「アル・アンダルス」と呼ばれる。

 

ちなみに、アルはアラビア語で定冠詞“the“と同じ意味。

梓

西ゴート王国の崩壊後、イスラーム教徒による新しい政治体制アル・アンダルスが誕生した。

 

アル・アンダルスは政治的に後の国家形成に影響を及ぼさなかったが、

文化には決して消えない顕著な足跡を残している。

 

マリア・ピラール・ケラルト・デル・イエロ、青砥直子訳(2016)

『ヴィジュアル版 スペイン王家の歴史』(原書房)

 

この「アンダルス」は、西ゴート王国よりも以前にイベリア半島へ侵入していたゲルマン人の一派「ヴァンダル人」が訛った、という説がある。
梓
アンダルスって、アンダルシア地方に名前が似ていますね。関係あるマボか?
そのとおり。
特にイスラーム勢力が早くから、そして長く定着していたイベリア半島の南部は、現在も「アンダルシア州」という政治区分になっているね。

州都はセビージャだし、代表的な都市には後ウマイヤ朝の首都コルドバや、ナスル朝の首都グラナダがあるね。

 

アンダルシア州は観光地を多く抱えているけれど、それらはイスラーム勢力の建築物といった“異教徒“の文化のたまものでもあるんだ。

梓

アルハンブラ宮殿

 

 

 

AlhambraDeGranada.orgより

かの有名なアルハンブラ宮殿もまた、アル・アンダルスの最後の王朝グラナダ王国の宮殿だ。
梓

 

1984年、ユネスコの世界遺産に登録されたアルハンブラ宮殿は、ヨーロッパで最も完全かつ良好な形で保存されているイスラーム建築の傑作である。

赤みのあり年度の壁の色を表すアラビア語に由来する「赤い城」ーーアルハンブラ宮殿は、グラナダの北東にある丘に建っている。

ナスル王朝の創始者ムハンマド1世の命によって建設されたこの要塞は、ユースフ1世(1333~1354)とムハンマド5世(1354~1359)の時代に拡張された。

当時の都市の大半や、大モスクその他のアラビア式建造物はキリスト教徒によって破壊されてしまったが、アルハンブラ宮殿はその壮麗さに加え、イスラーム王朝最後の砦だったこともあって、そのまま残された。

 

 

マリア・ピラール・ケラルト・デル・イエロ、青砥直子訳(2016)

『ヴィジュアル版 スペイン王家の歴史』(原書房)

 

イスラームの時代があったからこそ、アンダルシア地方にはすばらしい文化財が残っているというわけですねえ。
さて、次回はイベリア半島がイスラームからキリスト教勢力へ戻っていくのを、キリスト教国側の目線から見ていくよ
梓

 

まとめ

  • 8世紀、イベリア半島へ上陸したイスラーム勢力は、キリスト教国の西ゴート王国を滅ぼし、勢力を拡大した。
  • ウマイヤ朝→後ウマイヤ朝と続いたイスラーム帝国が滅亡すると、イベリア半島ではタイファと呼ばれるイスラーム諸国が乱立する。
  • イベリア半島のイスラーム王国であるナスル朝グラナダ王国が滅ぶと、イベリア半島からイスラーム王国は無くなったが、イスラーム勢力は消えた後も文化の影響を残した。

 

この記事の続きはこちらをチェックまぼ!

 

関連記事

 


 

「イベリア半島のスペインの歴史」のシリーズをまとめてます。

みんな、チェックしてくれ~。

 

  1. カルタゴ→ローマ帝国→西ゴート王国への変遷

  2. イベリア半島へのイスラーム勢力の侵入

  3. レコンキスタとは╿アストゥリアス王国→レオン王国→カスティーリャ王国

  4. スペイン王国の誕生とレコンキスタの完成

  5. ハプスブルク家「太陽の沈まぬ国」の“黄金の時代“

  6. スペイン継承戦争╿ハプスブルクからブルボンへ

 


 

参考資料

  • マリア・ピラール・ケラルト・デル・イエロ、青砥直子訳(2016)『ヴィジュアル版 スペイン王家の歴史』(原書房)

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