この「教養回遊記」でも、これまで、西洋美術の歴史のダイジェストなど見てきましたが……。
超・超・有名な、あの。
あの「ルネサンス」について、もう少し詳しく知っていたら、
絵画展なんかも、もっと楽しいんじゃないかしらと思いまして。
ルネサンス、といっても、いくつかの時代や様式に区分できるんだ。
では、今回は手始めに、「初期ルネサンス」を見ていこう。
目次
初期ルネサンスとは?
時代背景
ローマ帝国滅亡以降の、いわゆる中世と呼ばれたヨーロッパでは、
ギリシャ・ローマ時代のような写実的な人間描写は長らく無縁だった。
というわけマボね!
いまのギリシャやトルコのイスタンブールを中心とする、
「ビザンツ帝国」から広がった、
「ビザンティン様式」が強い影響を持っていた。
キリストと皇帝コンスタンティノス9世夫妻
(アヤ・ソフィア、イスタンブール)
次第にビザンティン様式から離れた独自の様式が生まれるようになった、
というわけだね。
初期ルネサンスを代表する画家
以下の代表的な画家を見ながら、
初期ルネサンスで西洋絵画がどのような変遷をたどったのかを見ていくよ。
- チマブーエ
- ジョット・ディ・ボンド―ネ
- マザッチオ
- フラ・アンジェリコ
- サンドロ・ボッティチェリ
チマブーエ:フレスコ画の発展
『荘厳の聖母』
(ルーヴル美術館、パリ)
『芸術家列伝』
の冒頭にも登場するのが、このチマブーエだ。
それほど奥行きの感じられない平面的な構図には、
まだ、ビザンティン様式の影響が見られるね。
一方、ビザンティン様式のモザイク画に代わり、
初期ルネサンス期から見られるようになったのが、フレスコ画だ。
西洋絵画では、中世前半ではモザイク画が中心で、
半になるとフレスコ画がそれに取って代わる。
チマブーエが生きた13世紀後半、
ガラス片をうめ込んだモザイク画では劇的表現がむずかしく、
筆致が自由なフレスコ画がイタリアで発展する。
塚本博(2006)
『すぐわかる 作家別 ルネサンスの美術』(東京美術)
漆喰がまだ生乾きの「フレスコ(新鮮)」なうちに、
顔料で描くのがフレスコ画。
やり直しが効かなかったから、
事前に構図や色味を計算する必要があったそうだよ。
マンボウちゃんには無理そうマボよ~はて~!
ジョット:「アッシジのフランチェスコ」が人々を身近にした
『最後の晩餐』
(スクロヴェーニ礼拝堂、パドヴァ)
さまざまな登場人物を、身振り豊かな描写で並べたのがジョット。
これまでの絵画と比べると、まるで、
「聖書の各シーンを覗き込んでいるような気分」
になってくるよね。
これまでの硬かったビザンティン様式とは変わってきています。
「硬直的で近寄りがたい印象だった聖書の各シーン」
が描かれていたんだけど、
そんな西洋美術の表現様式に影響を与えたのが、
「アッシジの聖フランチェスコ」なんだ。
「小鳥への説教」
(サン・フランチェスコ聖堂、アッシジ)
以下、トイビト『絵画はキリスト教をいかに広く伝播しえたのか」(松浦弘明)より
(2022年1月6日閲覧)
6世紀に定められたのは図像ばかりではありません。
イエスやその周囲の聖人たちは、人間の肉体をもっているが、神や神に近い者たちなので、
その神性を強調するためにさまざまな工夫が施されました。
人物像は正面性を高め、目を大きく見開き、あえて平面的に表し、
背景は現実空間から引き離すため3次元性を消し、
黄金で覆うこともしばしば行われました。
この状況に変革をもたらし、ルネサンス美術への移行を推進したひとつの要因と考えられるのが、
アッシジ出身の聖フランチェスコ(1182年~1226年)の存在です。
裕福な家に生まれながらも神の道に目覚めた彼は、資産の相続を放棄し、
イエスと同じように極めて清貧な生活を送りました。
彼の言動は多くの人々を魅了し、当時としては異例なことに死のわずか2年後に列聖され、
その遺体を埋葬するためのサン・フランチェスコ聖堂がアッシジに建立されることになったのです。
こうして13世紀の中部イタリアでは聖フランチェスコとその生涯は盛んに絵画化され、
先のサン・フランチェスコ聖堂では28場面にも渡って大規模に展開されています。
そこに表された聖フランチェスコは神性を強調するような型にはまった中世の聖人像ではなく、
人間らしいものでした。
そして彼の周囲は金地背景ではなく、現実空間として再現されたのです。
これは聖フランチェスコが同時代の人間であり、
彼にまつわるエピソードもアッシジやその周辺で実際に起きたことだったからでしょう。
1290年代にジョット(1267年~1337年)とその工房によって描かれたとされる
この「聖フランチェスコ伝」連作が、まさにルネサンス絵画の幕開けを告げたのです。
聖フランチェスコのおかげで、聖書のシーンの描写も身近な雰囲気に近づいていった、
というわけマボねえ。
次回は、『ヴィーナスの誕生』でお馴染み、
フィレンツェを代表するあの画家の登場だ。
まとめ
- 中世のビザンティン様式から、イタリアを中心に新しい絵画様式と脱却したのがルネサンス
- ルネサンスの口火を切ったチマブーエの頃より、モザイク画からフレスコ画へ移り変わり始めた。
- 聖フランチェスコの登場により、硬直的で平面的な絵画から、現実空間を描く絵画へと変わり始めた。その影響は、ジョットなどの絵画に見られる。
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参考資料
- 塚本博(2006)『すぐわかる 作家別 ルネサンスの美術』(東京美術)
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