今回のテーマは……。
ヨハネス・フェルメール『窓辺で手紙を読む女』
(アルテ・マイスター絵画館、ドレスデン)
優雅でいいわねえ、はて~
はて。
絵が変わるわけないですマボ。
ヨハネス・フェルメール『窓辺で手紙を読む女』(2021年に修復)
(アルテ・マイスター絵画館、ドレスデン)
こりゃ、間違い探しか何かかしらねえ。
でも、何だか絵の中が狭くなったような感じがするような……
右上にキューピッドの絵が増えてますマボ!
さて、今回は、2022年の展覧会でも来日した、この『窓辺で手紙を読む女』に関して見ていこう。
なぜ消された? 誰が消した?
「どうも、背景に大きなキューピッドの絵が隠れているらしい」
ということはわかっていたそうだ。
17世紀のオランダ絵画の巨匠ヨハネス・フェルメールの《窓辺で手紙を読む女》 は、
窓から差し込む光の表現、室内で手紙を読む女性像など、
フェルメールが自身のスタイルを確立したといわれる初期の傑作です。
本作品は、1979年のX線調査で壁面にキューピッドが描かれた画中画が塗り潰されていることが判明し、長年、その絵はフェルメール自身が消したと考えられてきました。
関西テレビ放送 カンテレ
「特別展 ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展」より
(2022年9月24日確認)
調査の結果、キューピッドの画中画部分に塗られた最初のニスの上に汚れの層があること、
そして汚れの層のさらに上から絵具で上塗りをしたことがわかった。
また、キューピッドの画中画の表面には、長年空気にさらされたためにできたと思われるひび割れがあることも確認された。
これらのことは、汚れの層やひび割れができるほどの長い間、キューピッドの画中画が上塗りされずにいたことを示している。
さらに、作品を覆う古いニスと汚れを落とした結果、上塗りされた壁の色と、周囲の壁の色に明確な違いが現れた。
周囲の壁が白く輝いているのに対し、上塗りの壁は茶色味を帯びた濃い灰色であった。
これは上塗りをした時点ですでにニスが変色し、周囲の壁も茶色味を帯びて、
その色に合わせて上塗りの色を決めたためだと考えられる。
つまり、キューピッドの画中画を上塗りした時点で、この絵画はすでに完成から少なくとも数十年は経っていたということである。
フェルメールが亡くなったのは、この絵を描いてから17年ほど後になるが、
今回判明した事実は、明らかにそれ以上の時間が経過してから上塗りがされた、
つまり画家本人による上塗りでないということを示していた。
キューピッドの意味とは?
『ヴァージナルの前に立つ女』
(ナショナル・ギャラリー、ロンドン)
しかも、キューピッドはそのうちの1つを踏みつけている。
さて、目に見えない抽象的な概念や思想を目に見える形で表す手法を
「アレゴリー(寓意または寓意画)」というのは覚えているかな?
あ、それこそ、フェルメールの別の記事で解説されていたような。
仮面というのは、「欺瞞」といった意味のモチーフとして、しばしば用いられる。
しかし、それを愛のシンボルであるキューピッドが踏みつけているということは……。
仮面は、ラブレターを読む女性の姿を念頭に置けば、明らかな警句として読み解くことができる。
つまり、正直で誠実な姿だけが、欺瞞や嘘、良心の欠如に打ち勝つことができる。
虚構と偽善を打破することができるものは他にないのだ、と。
鑑賞とは何なのか
これまでは当然、キューピッドの画中画の無い絵画を見ながら、鑑賞者たちは評論や感想を述べあっていた。
- 物語性が押さえられた作品
伏し目がちに手紙に目を落とし、静かに物思いにふける女性。
画面上に配置されたモチーフからははっきりした物語性を読み取ることは難しく、
鑑賞者に解釈が委ねられています。
フェルメールが描きたかったのは、女性の心の内面の静けさだったのかもしれません。
- 緻密な計算がされたモチーフの削除
X線写真による調査が行われた結果、後ろの壁には当初《ヴァージナルの前に立つ女》で壁に描かれたような、大きなキューピッドの画中画が描かれていたことが判明。
もしキューピッドが描かれていたとすると、女性が読んでいる手紙は意中の男性とやりとりしているラブレター的な解釈で確定できます。
しかし、フェルメールは敢えて画面から消すことで、明確な物語性を排除し、鑑賞者の自由な読み取りに任せています。
これにより、構図的にもスッキリし、結果的に作品に落ち着きと静謐さが備わっています。
青い日記帳監修(2018).
識者が語り合う新しい視点 フェルメール会議 双葉社.
と、バカにしたいわけじゃない。
「フェルメールが自分で消したんですよ」と聞いたら、誰だって、こういう風に考える可能性はあると思う。
「敢えてキューピッドを消したのがよい!」
という意見があったわけだね。
一方、キューピッドが現れた後はどうだろうか。
もちろん、「前の方がよかった」という人もある程度いるんだろうけど、
権威ある人が「キューピッドが出てきたからすばらしい」と言うと、「そうかもなあ」という人も増えるのではないだろうか。
「これはフェルメール自身が消した」というのが定説になっていた。
今回の修復調査が始まるまでは、
「本当にフェルメール自身が消したんですか?」
と疑いの目はほとんどなかったというわけだ。
「こうだろうなあ」と考えてしまうと、
そこから一歩引いて「いや、本当にそうかな?」と考え直すことってなかなか難しい。
みなさんは、どう思いますマボか?
まとめ
- 修復されたキューピッドの画中画は、いつ、誰が、何のために上塗りしたかはよくわかっていない。
- キューピッドの画中画は、他のフェルメール作品にも登場。
- 『窓辺で手紙を読む女』では、「正直で誠実な姿だけが、欺瞞や嘘、良心の欠如に打ち勝つことができる」というメッセージに。
- 「キューピッドの画中画」が現れることで、『窓辺で手紙を読む女』の価値はどう変わったのだろうか。ほかにも違う意味を考えることはできるのだろうか。
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参考資料
- 青い日記帳監修(2018).識者が語り合う新しい視点 フェルメール会議 双葉社.
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