今回は「フェルメール」シリーズ第2弾です。
フェルメールはバロック時代のオランダの画家で、
風景画や風俗画を描いたというのを見てきましたね。
カメラ・オブスクーラ
フェルメール
『デルフトの眺望』
(マウリッツハイス美術館、デン・ハーグ)
運河がオランダっぽくて優雅ねえ。
「歴史画に描かれている様子が何のシーンを表すかを補足するもの」
ぐらいにしか認識されていなかった。
それがだんだんと風景そのものを主役とした絵画も生まれ始める。
さて、フェルメールがその絵画で使われたと言われているのが、
カメラ・オブスクーラ。
カメラ・オブスクーラの原理はすでに古代から知られていたが、
実際に使用されるようになったのは16世紀以降である。
(中略)
紙やガラス板の上に映し出された画像が他の媒体にそのまま複写される。
《デルフトの眺望》でフェルメールはこの機器を使ったと思われる。
ノルベルト・シュナイダー(2000)『フェルメール』
(タッシェン・ニュー・ベーシック・アート・シリーズ)
遠近感のはっきりした図像を作るための参考にしたようだ。
光の粒
フェルメール
『牛乳を注ぐ女』
(アムステルダム国立美術館、アムステルダム)
「光の粒」
に魅力が詰まっている。
『牛乳を注ぐ女』
がアップに。
のがわかるかな。
ポワンティエと呼ばれる手法で、
カメラ・オブスクーラを通したときに見られた光の粒を、そのまま絵画に描いたと言われている。
ゴマが描いてあるのかと。
ええと、その、ほかの絵にはない、独特な光の感じが生まれていますねえ、おほほ。
平行の構図と覗き見
フェルメール
『小路』
(アムステルダム国立美術館、アムステルダム)
横軸に平行な構図が特徴だ。
なんだか、横スクロールアクションのゲームみたいだよね。
マリオがジャンプしていても違和感がないかもしれません。
《小路》に描かれている少数の人物の間には、相互のコミュニケーションは存在しない。
彼らの静かな行為は互いに切り離されたものであり、それぞれが1人で行動している。
しかし、見ている者には、平行性、同時性を意識させるものなのである。
ノルベルト・シュナイダー(2000)『フェルメール』
(タッシェン・ニュー・ベーシック・アート・シリーズ)
フェルメール
『合奏』
(イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館、ボストン)
フェルメール
『ワイングラス』
(ベルリン国立絵画館、ベルリン)
なんだか、左から右に視線が動いていくような気がしないかい。
はて、なんでまぼか?
フェルメール
『リュートを調弦する女』
(メトロポリタン美術館、ニューヨーク)
「左の窓から右奥へ光が差しこんでいる」
からだ。
フェルメール
『手紙を書く婦人と召使い』
(アイルランド国立美術館、ダブリン)
を見ていると、鑑賞者である我々が、
「カーテンの手前から何か決定的なシーンを覗き見している」
ような気分にならないかな。
フェルメール
『恋文』
(アムステルダム国立美術館、アムステルダム)
なんだか気まずいような気分。
不思議ねえ。
フェルメールの代名詞「ウルトラマリンブルー」
フェルメール
『真珠の耳飾りの少女』
(マウリッツハイス美術館、デン・ハーグ)
通称「フェルメール・ブルー」とも言われている、
「アラビアの宝石・ラピスラズリ」。
海を越えてやってきたので、
「ウルトラ・マリン」
とも呼ばれる。
貿易の拡大により日本を含む東洋趣味が早くから始まったオランダでは
ターバンは当時流行のファッションだった。
二つの色調の異なった黄色、
その二つをつなぐターバンの青の色面が少女の顔をいっそう際立たせ、
内面までをも浮かび上がらせるようなドラマチックな肖像画を完成させている。
青に使われたのはアフガニスタン原産の高価なラピスラズリだ。
ウルトラマリンブルーと呼ばれる強烈な青と黄色の思いがけない併置が、
この絵と少女と画家を永遠のものとしたのである。
福岡 伸一 監(2015)
『フェルメール光の王国展 誰も見たことのない、フェルメール作品だけの美術館』
(木楽舎)
実際、フェルメールは寡作なこともあって稼ぎも少なく、
その日のパンを食べるにも困るほど貧乏だったそうだ。
奥さんの実家から援助をもらっていたそうだよ。
まとめ
- カメラ・オブスクーラを用いてリアルな遠近法の風景がを描いた
- 輝く「光の粒」をポワンティエ画法で表現
- 平行の平面を覗き見
- フェルメール・ブルーの秘密は宝石・ラピスラズリ!
関連記事
参考文献
- ノルベルト・シュナイダー(2000)『フェルメール』 (タッシェン・ニュー・ベーシック・アート・シリーズ)
- 福岡 伸一 監(2015)『フェルメール光の王国展 誰も見たことのない、フェルメール作品だけの美術館』(木楽舎)