今回は、ルネサンスの西洋絵画の流れを見ています。
「マニエリスム」について見ていこう。
目次
知的芸術か、わざとらしさか
マナーとか、マニュアルに通じる言葉だ。
それが、マニエリスムでは、その偉大な巨匠のマニエラ(様式)を反復してまねていくことになる。
すると、どうなってしまうだろう?
名作をまねていくのに、何か問題があるんですか?
ただ、いつの時代、どんなジャンルのコンテンツでもそうだけど、
フォロワーが「あ、いいな」と思うところ(=マニエラ)だけを取り出して、繰り返しまねていくと、どうなるか。
極端になっていくんだ。
パルミジャニーノ『長い首の聖母』
(ウフィツィ美術館、フィレンツェ)
つまり、自然じゃない、ということ。
手法が極端に誇張されると、もはや自然を模倣していたルネサンスから離れていく。
「これこそ、自然をまねるだけだった時代を超える知的芸術!」と見るか、
「巨匠の手法をまねるうちに、わざとらしく不自然になった退屈な作品」と見るかは、
人によって分かれるだろう、ということ。
ちなみに、マニエリスムはマンネリズムの語源でもある。
ポントルモ:重力を失う
ほわ~んとしている
『十字架降下』
(サンタ・フェリチタ聖堂、フィレンツェ)
ほわほわマンボウ、ほわ~ん。
人々がどこか宙に浮いているように見えるところが、
その理由だね。
死せるキリストと哀悼のマリアを中心とする「十字架降下」は、
磔刑の十字架を描いていないために中心軸を失い、
人々は空間に浮遊している。
マリアは悲しみの所作をしているが、どうしてもわが子に近づくことができない。
人々の着衣や肌着は、異様なほどの人工的な色彩で塗られている。
ルネサンスとは決定的に異なる精神世界がここから始まった。
塚本博(2006)
『すぐわかる 作家別 ルネサンスの美術』(東京美術)
不自然な人体表現
すごく身体に負担のかかる人工的なポーズだということがよくわかる。
右肩と同じ方向に顔を向けて、しかも、あごを引こうとすると、首のあたりがすごく痛くなります!
亡くなって力のない人体には、絶対できないポーズまぼよ~はて~
「聖ヒエロニムス」というテーマで、
まずはレオナルド・ダ・ヴィンチから。
『荒野の聖ヒエロニムス』
(ヴァチカン美術館、ヴァチカン)
『聖ヒエロニムスの改悛』
(ニーダーザクセン州立博物館、ハノーファー)
ポントルモの方は、上半身はアメフトのタックルみたいに前のめりで、
一方、下半身はつま先であとずさりしてるマボねえ……。
こういうところも、人工的とか、不自然とか言われる由来マボかねえ。
ブロンズィーノ:難解な寓意
『愛の寓意』
(ナショナル・ギャラリー、ロンドン)
マニエリスムの特徴の1つとして、
「教養のある人の知識を満足させる」
ということを目的に、神話や文学の複雑なアレゴリー(寓意)が好まれた、というものがある。
ブロンズィーノのこの『愛の寓意』は、そんな代表作だ。
どんな絵マボか~
※以下、早川裕子(2006)『鑑賞のための西洋美術史入門』(視覚デザイン研究所)を参照
真理を表す女性
時を表す老人
時と心理はいつでもペアで出てくる
快楽を表す子ども
快楽には痛みがつきもの(右足にとげをふんで痛い)
下半身がヘビの欺瞞
仮面も欺瞞を表すモチーフ
少年アモール(愛をつかさどるキューピッド)と
ヴィーナス(アモールの母)
左手の金のリンゴは
ヴィーナスの持ち物(アトリビュート)
嫉妬。醜い女性
- 右上の禿頭の老人
よく見ると翼があり、砂時計を方に載せている
=「時間」の寓意の老人
- 左上の女性
=「時間の軸である真理」の寓意
⇒「時間」と「真理」によって、ヴィーナス(母)とキューピッド(子)の罪ある愛欲が、帳を開けて暴かれた場面
塚本博(2006)
『すぐわかる 作家別 ルネサンスの美術』(東京美術)
- キューピッドはヴィーナスの息子なので、これはヴィーナスではないという考えもある。
- はかない快楽を示す、ピンクのバラの切り花を持って踊る子供
- 無垢な少女の顔をしながら身体は怪物、左右の手が逆についた「欺瞞」
- 「時の老人」の娘と思われている仮面をかぶった「真理」
⇒愛欲にふけるカップルが貞潔のヴェールをかぶっていても、やがて時間とともにその真相を暴かれるという教訓
しかし、本当の真理であれば仮面をかぶる必要はないから、これを「虚偽」とする別の解釈も成り立つ
大塚国際美術館編(1998)
『西洋絵画300選』(有光出版)
- 黄金のリンゴ(神話「パリスの審判」に出てくるヴィーナスにまつわるエピソード)や、足元の鳩から、女性はヴィーナスとわかる。
- ヴィーナスはキューピッドの矢を取り上げてしまっている。
- 足元の仮面は、おそらく官能的なニンフとサテュロスのシンボルであり、恋人たちを見つめているように見える。
- 顔は愛らしいが身体は醜い「欺瞞」が、片方の手で尾にある毒針を隠しながら、もう一方で甘い蜜蜂の巣を差し出している。
- 恋人たちの左側の黒い肌の人物は、「嫉妬」ではなく「梅毒」の擬人像だという説得力ある説が出てきている。
⇒「快楽」に支配され、「欺瞞」にあおられた不貞の愛と、その苦悩に満ちた結末(=梅毒)を表している
エリカ・ラングミュア、高橋裕子訳(2004)
『ナショナル・ギャラリー・コンパニオン・ガイド』
ところでマンボウちゃんには、左上の女性と、右上のおじいさんは、
一緒になってベールを開けているというよりは、
むしろ引っ張り合いをしているようにも見えるんですが……
左上の女性を「真理」とは見ず、「忘却」とした解説だ。
- 「忘却」を表す左上の人物は記憶するための肉体的機能をもたない姿で描かれている
- 「忘却」はすべてにヴェールを引こうとするが、「時の翁」にさえぎられている。
⇒梅毒の影響が遅れて現れることを暗示しているのかもしれない。
エリカ・ラングミュア、高橋裕子訳(2004)
『ナショナル・ギャラリー・コンパニオン・ガイド』
エル・グレコ:マニエリスムからバロックへ
『受胎告知』
(プラド美術館、マドリード)
グレコの絵画には寓意的な表現はあまり見られない。
一方、長く引き伸ばされた構図やプロポーションや、
激しいタッチと色彩には、独特の「不自然さ」があると言ってもいいだろう。
『羊飼いの礼拝』
(プラド美術館、マドリード)
カラヴァッジョ『キリストの埋葬』
(ヴァチカン美術館、ヴァチカン)
暗闇の中の劇的な雰囲気なんかは共通点かもしれません。
マニエリスムの終わりには、バロックの芽も見えていた、というわけマボねえ。
まとめ
- 「自然」「古典」ではなく、巨匠の「マニエラ」をまねする「マニエリスム」は、自然を超えたという見方と、マンネリズムだという見方がある
- 不自然な人体表現な難解な寓意などに特徴あり
- エル・グレコの劇的な表現は、バロックへのつながりを示している
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参考資料
- エリカ・ラングミュア、高橋裕子訳(2004)『ナショナル・ギャラリー・コンパニオン・ガイド』
- 大塚国際美術館編(1998)『西洋絵画300選』(有光出版)
- 塚本博(2006)『すぐわかる 作家別 ルネサンスの美術』(東京美術)
- 早川裕子(2006)『鑑賞のための西洋美術史入門』(視覚デザイン研究所)
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