【日本語/飯間浩明】① 言葉の使い方を考える/辞書を編む などから

こんにちは、はてはてマンボウです。
今回は辞書の編集者の飯間浩明さんの著書をとおして、

 

我々は日本語とどう向き合っていくべきか、

 

ものを考えしゃべるときに何を意識するべきなのか、

 

について見ていくよ。

梓

 

飯間浩明さんってどんな人?

ところで今回のタイトルにもなっている

飯間浩明さん

って、どんな方マボか

 

『三省堂国語辞典』の編集委員

いわば「日本語のプロ」だね。

Twitterでもよく情報発信をしていらっしゃるよ。

梓

 

 

辞書を編む

鏡と鑑で日本語を考える

飯間さんといえば、

 

ベストセラー小説『舟を編む』をもじった

『辞書を編む』

が話題になったんだ。

梓

飯間浩明(2013)『辞書を編む』(光文社)

 

辞書の編集者らしいタイトルまぼね!
『辞書を編む』では、

どのような考えで日本語を辞書に採用しているのかについて触れられている。

 

たとえば、

 

「現実はこう使われているぞ」という「実例主義」か、

 

「この言葉はこうあるべきだ」という「規範主義」か。

 

この章での以下の引用は『辞書を編む』から。

梓

 

実例主義を「鏡」とするならば、

規範主義のほうは、同じ「かがみ」でも「手本」という意味の「鑑」です。

 

国語辞典の多くは、どちらかと言うと、「鑑」のほうに重点を置いています

 

「このことばは正しくはこうです」

と説明することが主眼で、

「今の日本語はこのようになっています」

と示す「鏡」の役割は副次的です。

 

規範主義の「鑑」か、

実例主義の「鏡」か。

 

これは、どちらが優れているというものではありません。

ただ、どちらを重視するかによって、辞書の性質は大きく違ってきます。

またほかにも、

平易な表現でわかりやすい説明をするか、

特別な用語などを用いながら専門的に説明をするのか、

という考えの違いもあるみたいだね。

梓
マンボウたちが何気なく使っている日本語のことを、

こんなにも真剣に考えている人たちがいるのねえ。

中学生でもわかるように

また『辞書を編む』では、

「辞書の説明は、単なる言葉の言い換えではいけない」

ということを指摘している。

梓

 

見坊〔『三省堂国語辞典』初版の編集者〕が『三国』でことばの意味を説明しようとするとき、

辞書の利用者層が小学校高学年生~中学生であったということが、大きな縛りとして働いたと思われます。

この年齢層の人々にもわかるように説明するには、

まず説明者本人が本当によく分かっている必要があります。

小中学生を教えた経験のある人には、うなずいてもらえるはずです。

 

(中略)

 

この大方針は、結果的に、一般の利用者の利益にもなるはずです。

「大人だから分かるだろう」

という姿勢で説明すると、大人にも分からない語釈になるおそれがあります。

 

それに対し、「中学生にも分かるように」という姿勢で説明すると、

中学生にも、大人にもわかるように書けるのです。

 

この先も守り続けたい大方針です。

 

このような方針は我々の日常でも大切ではないかな。

なんだかわかったようなわからないような、それっぽいことを言っているだけの人間に自分はなっていないか。

「解釈はあなたに任せます」

という姿勢になっていないか。

そしてそれは逆に、

「相手は信用のおける人間だろうか」

を確かめるための指標になるだろう。

言葉の定義を考えることが、自分なりの視点で意見を発信する練習になる、

ということにもつながるのではないかな。

梓
普段からそのような訓練をしておけってことマボかあ。

この教養回遊記もまさにそんな訓練の場というわけマボねえ

 

辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術

飯間浩明(2015)『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』(PHP研究所)

 

こちらの本では、単語そのものの意味に加えて、

それらの単語を使うシチュエーションは何かなどが

「どのようにして日本語を使いこなせばいいのか」

という観点で語られている。

梓

「死んだ紋切型」と「生きた紋切り型」

紋切型の言葉ってあるよね。たとえば、謝罪会見。
梓
このたびは、多くのお客様にご迷惑をおかけしまして、まことに……
こういう言葉はしゃべっている人間の感情が感じられない、

 

「死んだ紋切型」

 

だと飯間さんは指摘している。

梓
マンボウちゃんにしゃべらせて言うことはそれマボか!
しかし一方で、

 

「生きた紋切り型」

 

の言葉もある、という指摘もされている。

 

以下の引用は、『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』から。

梓

 

ただ、紋切り型の言い方は全部だめかというと、必ずしもそうではありません。

むしろ、必要なときに決まった言い方ができないのは、

「口のきき方を知らない」

ということであって、

かえって相手の気分を害することになります。

 

すでに話題にした「挨拶」などは、紋切り型の典型です

毎朝家族に「おはよう」と言うのは、マンネリの極致です。

でも、挨拶を交わすことで、お互いの心が通じ合います。

「『おはよう』なんて紋切り型のことばはやめよう」

と言う人はいません。

 

挨拶に使う紋切り型と、

不祥事で謝罪する紋切り型との違いは、

「相手に近づこうとする気持ちが入っているか、入っていないか」

という点にあります。

 

なるほどマボね~
ほかにも、言葉のちょっとした使い方やニュアンスに触れながら、

 

次のような事例を紹介している。

梓

 


 

あやまるとわびるは違う

あやまるのは自分の過ちを認めることだが、

 

わびるのは相手がどんな気持ちでいるだろうと想像する力が働いている。

 

⇒相手の事情に想像力を働かせて、

「迷惑にならなかったか」

「辛い思いをしていないか」

などと寄り添うのが「わびる」こと

 

動詞の言い方にすると客観的に

「だらしない」

「できが悪い」

など、形容詞は主観的な評価を著わす。

 

一方動詞ならば

「約束の時間に遅れた」

「テストの点数が10点下がった」

など状態の描写に留まるので、称賛も批判もない客観的な言い方がしやすく、角がたちにくい。

 

むずかしい漢字を使いたがる人たち

「鬱勃(うつぼつ)」「剔抉(てっけつ)」などと、

戦後しばらく知識人はやたらに難しい漢字を使っていた。

 

しかし、難しい漢字ばかり使っているとバランスの悪い、読みにくい文章になる。

 


 

最後に出てくる見解は、

外来語や、

「バズワード」と呼ばれる流行り言葉を使いたがる人たちに見られる傾向ではないかな。

梓

 

上から目線のうさんくさい文章を書いていませんか

ここからは飯間さんの文章ではなく、私の個人的な見解。

「なんかちょっとうさんくさくないか?」

という人の文書にはだいたい、次のような特徴がある。

梓

 

  • 妙に断定が多い

 

  • 不必要に外来語が多い(ときに、英語そのままに書いている)

 

人とコミュニケーションするときは、相手に伝わることばを選ぶことが必要です。

その断定口調や外来語がどのような効果を発揮することを狙って書いているのか、

ということまで意識する必要があるのではないか、と思う。

梓
個人の見解マボね。

教養回遊記でも、みんなに伝わるブログを心掛けるマボよ~

 

まとめ

  • 言葉の定義を考えることが、自分なりの視点で意見を発信する練習になる
  • 言葉を使うシチュエーションを意識すると、言葉の使いかたが上達する
  • 言葉はコミュニケーションのための道具。相手に寄り添うための言葉を選ぼう

 

この記事の続きはこちらをチェックまぼ!

 

 

参考資料

  • 飯間浩明(2015)『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』(PHP研究所)
  • 飯間浩明(2013)『辞書を編む』(光文社)