今回は新田次郎の歴史小説『武田信玄』について見ています。
前回までの記事は、こちらをチェックしてくれ~。
武田晴信から「信玄」への変遷、そして信玄の一大決戦である「川中島の合戦」へ物語は移っていく。
目次
甲・相・駿 三国同盟
『北条氏康像』
(早雲寺)
落合芳幾『今川治部大輔義元』
(太平記英勇伝三)
武田(甲)・北条(相模)・今川(駿河)による「甲相駿三国同盟」を提案する。
「三国同盟を結んで一番得をするのは誰かな」
聞き終ると晴信はひとこと皮肉を言って置いて
「まあいい。誰が得をするかは、ずっと先にならないと分らないこと」
そう云って笑った。
そのとき晴信は心の中では、
おそらく近い将来には三国同盟は反古(ほご)となり、
その時は、駿河は武田の支配下になっているだろうと考えていた。
新田次郎(2005)
『武田信玄 林の巻』「三国同盟」
(文春文庫)
北の信濃攻め、
そしてその先に待つ越後の上杉家との争いへの道を進むことになる。
「晴信」から「信玄」へ╿晴信薙髪(ちはつ)
一向宗など仏教宗派と連携して大名を牽制するのに、出費がかさんでいた。
そこで、自分自身が出家して僧侶たちの心を思いつくと、早馬で館を飛び出してしまう。
「お館様、いまこの大事なときに出家、御隠居なされて、後をどうなさるおつもりです」
口をとがらせて食ってかかって来る小山田弥三郎に向って晴信は云った。
「誰が隠居すると云った。
余が出家するのは、人の世を超越した戦をしたいからだ。
出家とは仏の弟子になることだ。
これからは、この晴信には、仏という味方がつくのだ」
晴信の薙髪は日の暮れ方 岐秀(ぎしゅう)大和尚の手によって行われた。
「法名は信玄と授けよう」
新田次郎(2005)
『武田信玄 林の巻』「信玄薙髪」
(文春文庫)
三国同盟の一角の崩壊╿桶狭間の合戦
新田次郎(2005)
『武田信玄 林の巻』(文春文庫)
そこに立ちはだかったのは織田信長だった。
ご存じ、桶狭間の戦いだ。
せっかく三国同盟を結んだのに、今川義元がいなくなってしまったマボよ~、はてはて。
そこへ、勘助を裏切り者と呼ぶ僧侶・権阿弥(ごんあみ)が現れる。
信玄の元で軍師や忍びの仕事を務めているうちに、勘助は信玄に忠誠を誓うようになっていた。
桶狭間の信長の勝利も、勘助の手引きによるものだった。
山本勘助は思わず、腰の刀に手を掛けた。
まわりを見たがそこには誰もいなかった。
勘助は権阿弥にじりじりとつめよった。
秘密を知っている権阿弥を活かしては置けぬと思った。
「わしを斬るつもりだな、やむを得ぬことだ。だが、山本勘助、僧を斬れば、お前は一生浮ばれぬぞ」
権阿弥の眼がかっと見開いて、山本勘助にとびつくように見えた。
山本勘助は、その眼からのばれるためにかたなを抜いた。
山本勘助は、彼の手にかけた権阿弥の遺体を義元の胴塚の隣りに埋めた。
大聖寺の住職には権阿弥が今川義元のあとを追って死にたいというから、介錯してやったと告げた。
新田次郎(2005)
『武田信玄 林の巻』「桶狭間の合戦」
(文春文庫)
宿敵╿関東管領上杉政虎誕生す
越後の地を治めているのは、長尾景虎(かげとら)。
越後の地には、室町幕府における関東の代表者「関東管領(かんれい)」の地位にある、上杉憲政が亡命してきていた。
景虎は上杉家の養子となって上杉家の家督を相続することで、関東管領の地位を継承した。
鶴ケ丘八幡宮で、その継承の儀式が執り行われた。
そして、その名を「上杉政虎」と改める。
彼こそが、のちの上杉謙信だ。
『上杉謙信像』
(上杉神社)
「関東管領、上杉政虎……関東管領上杉政虎」
と彼は心の中で繰り返していた。
この関東管領の虚名こそ、彼が天下を取るためには最大の障害になるものだということを察知してはいなかった。
上杉政虎は社殿を後にして参道を歩きながら、
ふと武田信玄にこの儀式の内容を見せてやりたいと思った。
宿敵武田信玄は、羨望のために気が狂うに違いないと思った。
上杉政虎は口のあたりにいかにも満足そうな微笑を浮べていた。
新田次郎(2005)
『武田信玄 林の巻』「関東管領上杉政虎誕生す」
(文春文庫)
川中島の合戦╿山本勘助の死、お諏訪太鼓、鬼哭啾啾
『武田信玄』最大の激戦だ。
新田次郎(2005)
『武田信玄 林の巻』(文春文庫)
しかし上杉政虎はその動きを見抜いており、挟み撃ちを受けるよりも先に、二隊に分かれて手薄になった信玄本陣を襲いに来ていたんだ。
山本勘助は政虎の動きを決死の思いで、妻女山(さいじょさん)に控える別動隊へ知らせるが、息絶えてしまう。
信玄を影から支えてきていた弟・信繁(のぶしげ)は、兄を守るため死に物狂いで槍を振るう。
退けばまだ生きられる道があった。
だが、退けば、敵は必ず追従して来て、みすみす本陣に敵を誘導することになる。
本陣に敵を近づけないためには、少しでも時間を持たせるためには、
あばれるだけあばれて、此処(ここ)で憤死するしかほかに方法はなかった。
そうしている間に、本陣の守りを更に強化するか、
本陣を退くか、
それは兄信玄が考えればいいことであった。
信繁は長槍を振って、敵と渡り合っていた。
馬を突かれたので、信繁は馬から降りていた。
三本の槍先が同時に彼を狙っていた。
お諏訪太鼓が背後で聞えた。
信繁もまたお諏訪太鼓がなにものかは知らなかったが、その太鼓が味方のものであり、指揮を鼓舞するものであることは疑わなかった。
その太鼓の音と共に戦局逆転するに違いないと思った。
遠くに百雷が一時に落ちたような鉄砲の音がした。
妻女山へ出た馬場民部(みんぶ)、小山田孫三郎、飯富兵部(おぶ ひょうぶ)などの隊が、一斉に打ち鳴らした鉄砲の合図であった。
「甲軍の勝利ぞ、武田の勝利ぞ」
信繁は叫び声を上げた。
その信繁の身体に敵の三本の槍が同時に伸びた。
新田次郎(2005)
『武田信玄 林の巻』「お諏訪太鼓」
(文春文庫)
退却をしている上杉勢を、武田軍は数多く討ち取ることができた。
こうして、川中島の合戦と武田の名将たちの死とともに『林の巻』に幕が下りる。
まとめ
- 三国同盟を結んだ晴信は、出家して信玄を名乗り、信濃攻めを進めていく
- 三国同盟の一角・今川家は桶狭間の戦いで破れ、衰退の道へ
- 川中島の合戦では、山本勘助や武田信繁といった重臣が命を落とすが、上杉方を追い落とすことができた
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