今回のテーマは……
マンボウちゃん、ピザ、だーいずきマボ!
これは楽しみねえ、はってはて♪
目次
ナポリから世界へ
ピザはイタリア南部の都市・ナポリ発祥の食べものと言われている。
ナポリ人にとって、ピザは生き延びるための食べ物として生まれ、
のちにはこの町の歴史、あるいは伝説の一部になった。
イタリアのほかの地域の人々にとっては、
ピザはよその土地から入ってきた魅力的な食べ物であり、
やがてイタリアの食文化に欠かせない、祝福し、称え、守るべき遺産になった。
他国に渡ったイタリア移民にとっては、
ピザは生計を立てる手段になるとともに、故郷との絆を保つものになった。
そして、イタリア人以外にとって、
ピザはエスニックフードであり、
さまざまな工夫や実験が可能な真っ白いキャンバスになった。
ピザが新しい土地で新しいグループの人たちに受け入れられると、
彼らはそれを自分たちの好みや、おいしい食事や軽食についての考えに会わせてアレンジする。
キャロル・ヘルストスキー、田口未和訳(2015)
『ピザの歴史』(原書房)
イタリアからアメリカ、
そして世界中へと、
さまざまなにバリエーションを増やしながら、ピザは広まっていったんだ。
では、ピザの歴史について、まずはその始まりのイタリアの地から見ていこう。
イタリアのピザ
ナポリのローカルフード
それまでは、ナポリのローカルフードだったんだ。
昔から、イタリア中で食べられていたのだとばかり思っていました。
いつの間にか全国どこでも食べられるようになり、
日本を代表する食べものになったのと似ているね。
ナポリの位置
(Wikipedia「ナポリ」より 2021年9月26日閲覧)
それまでイタリアは、
市民が自治をする都市国家や、
周辺の王国・帝国に支配される領土など、
地域ごとに支配者層がバラバラだった。
ナポリが長らくスペインの領土になっていたというのは、別の記事でも見たとおりだね。
いまのイメージからは想像もつかないマボよお。
ナポリと、それからピザの歴史の大きな転換点となる出来事が起きるんだ。
王妃が愛したピッツァ・マルゲリータ
ピザみたいな名前をしているマボねえ。
ピザのマルゲリータの方が、彼女にちなんで名づけられた名前なんだ。
おそらく、貴族のピザ愛好者についてのもっとも有名な話は、マルゲリータ王妃のものだろう。
統一後のイタリア王国の第2代国王ウンベルト1世の妃だ。
伝説によれば、1889年に国王とともにナポリを訪問していた王妃は、
当時のヨーロッパの王族が日ごろ食べていたフランス料理にすっかり飽きていた。
そこで、ピッツェリア・ブランディのピザ職人(ビップァイオーロ)ラファエレ・エスポジトが呼ばれ、王妃のために何種類かピザを用意するように命じられた。
キャロル・ヘルストスキー、田口未和訳(2015)
『ピザの歴史』(原書房)
「トマト・モッツァレラチーズ・バジルを載せたピザ」
が王妃のお気に入りになったことで、
呼び名も「ピッツァ・マルゲリータ」に変わったというわけだ。
ちなみに、
「トマト・モッツァレラチーズ・バジルの赤・白・緑は、イタリア国旗の三色と同色」
というのも、マルゲリータの人気の理由の1つなんだよ。
マルゲリータ
(Wikipedia「マルゲリータ」より 2021年9月26日閲覧)
ピザは世界を征服する
イタリアからの帰還兵がピザを食べたがったというのが要因の一つだそうだ。
その後、アメリカには多種多様なピザが生まれることになる。
アメリカでさまざまな発展を見せるピザの代表例が、
「ディープ・ディッシュ・ピザ」
と呼ばれるシカゴ風ピザ。
シカゴ風ピザ
(Wikipedia『シカゴ風ピザ』より 2021年9月26日閲覧)
しかし、大きいわねえ。
一口でお腹いっぱいになって、胃もたれしそうマボよ、はてはて……。
『ピザの歴史』の本の中でも、日本は何度か言及されていたし、
それ以外の国でもピザは大人気のようだ。
可能性は無限にある。
たとえば、日本の人気チェーン店「ピザーラ」は、驚くほど多くの種類のピザを提供している。
イタリア風とみなせるものもあれば、
アメリカ風、
日本風、
そして、地理や文化的な期限がたどれないものもある。
(中略)
ピザを一度味わった消費者は実験したくなる気持ちを抑えきれなくなり、
それぞれに工夫をこらしたピザを考案する。
キャロル・ヘルストスキー、田口未和訳(2015)
『ピザの歴史』(原書房)
〇〇風ピザ
各国の地域の料理が「〇〇風ピザ」と紹介されることもあるみたいだ。
たとえば、お好み焼き。
日本のお好み焼きは、日本以外の国では「日本風ピザ」と説明されることが多い。
小麦粉、出し汁、卵、キャベツ(ほかの材料を加えてもよい)を混ぜた生地と具材を焼き、
少し甘めのソースとマヨネーズをかけ、かつお節(生地の熱でひらひら動く)をのせる。
トッピングの種類の多さと、切り分けて出されるところが、
お好み焼きがピザと呼ばれる理由だろう。
キャロル・ヘルストスキー、田口未和訳(2015)
『ピザの歴史』(原書房)
がネットで論争になっているのを見ることがあるけど、
「日本風ピザ」と感じる外国人には、
ピザみたいな放射状カットの方がしっくりくるかもしれないね。
お好み焼きの切り方は地域によって違う!? その背景を探ってみた | 食・料理 | オリーブオイルをひとまわし (olive-hitomawashi.com)
こんな記事みたいに、切り方についてまとめた記事はネットを検索するとたくさんでてきますねえ。
真のナポリピッツァ協会
最後はもう一度生まれ故郷のナポリに話を戻そう。
世界中でピザが人気になるにつれ、
ピザがファストフード化したり、
冷凍ピザが生まれたり、
といった「ピザの規格化」が進んだ。
これに対する危機感から生まれたのが、
「真のナポリピッツァ協会」なんだ。
こうした規格化されたピザへの怒りと、
ピザを含めあらゆるものが「ヨーロッパ化」していることへの反感を背景に、
1984年に「真のナポリピッツァ協会(VPN)」が設立された。
この団体の目的はふたつ。
ナポリのピザを守ることと、
それをすべてのピザを評価する世界的な基準にすることだ。
キャロル・ヘルストスキー、田口未和訳(2015)
『ピザの歴史』(原書房)
真のナポリピッツァ協会のロゴ
(「真のナポリピッツァ協会」より 2021年9月26日閲覧)
生地の材料、
焼き上げる温度、
果てはミキサーの種類まで、
厳格に決まっているらしい。
ピザがどんどん姿かたちを変えているのに対して、
「一言言いたい!」という思いは、
「真のナポリピッツァ協会」のみならず、
イタリア人の多くが抱えているらしいよ。
イタリアの外に目を向ければ、世界のピザ事情、
とくにバーベキューチキンピザを売るアメリカや、
ジャガイモ、マヨネーズ、ソーセージをのせたピザを売る日本に対して
不快感を示すイタリア人も少なからずいる。
明らかにイタリアのものとは異なる料理になってしまったピザのことを、
イタリア人はどう思っているのだろう?
(中略)
実際に、ファストフード世界の過ちすべての象徴としてしばしば引き合いに出されるのが、
アメリカやその他の国の職人の手に委ねられ、退化していったピザの話だ。
新聞、雑誌、ウェブサイト、チャットルームをのぞいてみれば、
あるいはイタリア人とほんの少し会話を交わしてみるだけで、
彼らがよその国のピザのことをどれだけ不快に思っているかはすぐにわかる。
客の目を引こうとたくさんの食材をのせたにぎやかなピザは、
この点ではイタリアの食文化への冒瀆となる。
さらに、ナポリ・ピザの歴史は、人々が貧しいながらも、何とかしてものをつくり出していたことを教えてくれる。
ピザという食べ物は、
シンプルながらも多様性をもたせ、
材料がなくてもおいしいものを作ろうと懸命に努力してきた、
すべてのイタリア人の歴史を象徴しているのだ。
そう考えれば、イタリア人が腹を立てるのも理解できる。
いろいろなバリエーションのお寿司を見て、
「これは違う!」
と言っている人もいますもんねえ。
いろいろな思いがピザの周りを巡っているというのがよくわかりましたマボ。
まとめ
- ピザはナポリの貧困外からイタリア全土へと広がった。
- イタリア王妃・マルゲリータがきっかけとなって、「ピッツァ・マルゲリータ」が誕生!
- 第二次世界大戦後のイタリアからの帰還兵をきっかけに、アメリカ中にピザは広まった。
- 「真のナポリピッツァ協会」は、真のピザを厳格に守ろうとしている。
「食」の図書館シリーズ
- 【エビ/ロブスター】エビの種類、料理、芸術……|『エビの歴史』『ロブスターの歴史』
- 『パンの歴史』と『世界のサンドイッチ図鑑』╿世界中のパンを楽しもう!
- 『ピザの歴史』╿イタリア生まれ、アメリカ育ち、そして世界へ
- 『牛肉の歴史』╿「ビーフ」と「カウ」/国際語「和牛」
参考資料
- キャロル・ヘルストスキー、田口未和訳(2015)『ピザの歴史』(原書房)
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