
今回はビザンツ帝国の歴史マボかあ。

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東ローマ帝国、はて。
東西に分かれたんですか。
それが東ローマ帝国、すなわちビザンツ帝国なんだ。
今回は手始めに、ローマ帝国から東ローマ帝国までの流れについて見ていこう。
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ローマ帝国と皇帝の呼び名
紀元前1世紀、イタリア半島の都市国家だったローマが、やがて地中海一帯を支配するようになる。
ローマの拡大に一役買ったのが、ユリウス・カエサルだ。
英語読みだと、ジュリアス・シーザーだね。
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ニコラ・クストゥ『ユリウス・カエサル』
(ルーヴル美術館、パリ)
アウグストゥスが初代皇帝と呼ばれることになり、
ローマ帝国がはじまった、とされる。
話が逸れるけど、英語のカレンダーだと、”ユリウス(Julius)”・カエサルに由来して7月はJuly、
”アウグストゥス(Augustus)”に由来して8月はAugustと、それぞれにちなんだ名前で呼ばれる。
それぐらい影響力があったということ。
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『アウグストゥス』
(ヴァチカン美術館、ヴァチカン)
ちなみに、「帝国とは」というのは、別の記事でもまとてているね。
この記事でも、「皇帝」という呼び名について見ているけど、今回の記事でも少し寄り道してみよう。
ローマ帝国の「皇帝」という名乗りには、いくつかパターンがあるんだ。
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- 「アウグストゥス」
本来は、「尊厳者」という称号に過ぎなかったが、後に皇帝を意味する用語となった、
- 「カエサル」
アウグストゥスがカエサルの養子として同じ「ユリウス・カエサル」を名乗ったため、
歴代の皇帝たちにもこの亀井が用いられた。
- 「インペラトール」
軍隊の最高司令官に与えられた称号であり、ユリウス・カエサルにも送られている。
結果としてローマ皇帝は戦場で軍隊を率いる男性というのが暗黙の了解事項となった。
以上のように、ローマ帝国にはアウグストゥス、カエサル、インペラトールの3つの皇帝を意味する用語が存在し、これらが同時に使用されるケースもめずらしくなかった。
「中谷功治(2020).ビザンツ帝国-千年の興亡と皇帝たち 中公新書.」を参照
コンスタンティノープル建設と東西分裂
330年:コンスタンティノープル建設

ローマ帝国、ノリノリまぼよ~
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Wikipedia「コンスタンティヌス1世」(2022年10月10日確認)
彼が崩御したときのローマ帝国の勢力範囲だ。
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ジュリオ・ロマーノ『ミルウィウス橋の戦い』
(ヴァチカン宮殿 コンスタンティヌスの間、ヴァチカン)
複数の皇帝が分割統治(テトラルキア)をするローマ帝国内にあって、
312年のミルウィウス橋の戦いで他の皇帝に勝利を収めたコンスタンティヌス1世は、
分裂状態にあったローマ帝国の統一を進めていく。
以後、この地はローマ帝国の中でも重要な地位を占めることになる。
下の図のちょうど赤丸のあたりがコンスタンティノープルだ。
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395年:東西分裂
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そして、4世紀末の395年、テオドシウス1世はその死に際して、国土を二分することを決める。
そして東側は、コンスタンティノープルが首都となったんだ。
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まとめ
- カエサル、アウグストゥスにはじまるローマ帝国
- 紀元前27年から350年後、コンスタンティヌス1世がコンスタンティノープルを建設
- 395年に帝国が分裂し、東ローマ帝国、すなわちビザンツ帝国へ
参考資料
- 中谷功治(2020).ビザンツ帝国-千年の興亡と皇帝たち 中公新書.
参考記事

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