【三種の神器】鏡/剣/勾玉……その場所は? 歴史は?

こんにちは、はてはてマンボウです。

はて、今回は三種の神器

ということは、白黒テレビに洗濯機に冷蔵庫マボか……。

マンボウちゃん、君、何歳?

今回はもちろん、戦後の電化製品ではなく、皇室に伝わる3つの宝物について見ていくよ。

梓

 

八咫鏡、天叢雲剣、八尺瓊勾玉

三種の神器は、天の神様が地上に降りてきた日本神話の「天孫降臨」にまつわる品々。

天照大神が、天から地上へ降りていくニニギノミコトに授けた三つの宝物のことをいう。

梓
  • 八咫鏡(やたのかがみ)

天照大神が天岩戸に隠れた際に作られた

天照大神が岩戸を開けたとき、八咫鏡で天照大神を映して興味を持たせることで、彼女を外に引き出ことができた。

 

  • 天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)

別名「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」。

スサノオノミコトが出雲国で倒したヤマタノオロチの尾から出てきた剣で、天照大神へ献上された。

 

  • 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)

「玉(ぎょく)」と呼ばれるヒスイで作った勾玉(まがたま)。

天照大神の岩戸隠れの際に作られ、八咫鏡とともに榊の木に掛けられた。

 

三種の神器はどれも、神話の世界のエピソードにまつわるモノというわけマボね。
そのとおり。

その神話のエピソードにまつわる宝物を携えて降りてきたニニギノミコトの子孫が、いまの天皇家というわけだ。

そして、三種の神器は皇室の正統の証として、皇位継承とともに代々受け継がれてきた。

梓

 

誰も見ることができない

そりゃあ、大事なお宝マボねえ。

それじゃあ、天皇家の人たちがこのお宝を肌身離さず持っているマボか?

ところがなんと、三種の神器は天皇陛下ご自身であっても、見ることができない決まりになっているんだ。
梓
はて! なんですと!
Wikipediaで見ても「想像上の三種の神器」の写真が掲出されているね。
梓

Wikipedia「三種の神器」の項では、

「三種の神器/画像は想像図であり、実物は非公開。」

と紹介されている。

(2021年8月22日閲覧)

 

仮に本物を見る機会があったとしても、それが本物かどうかを判断することもできないマボねえ。

というか、そもそも安置している場所の中が空っぽかもしれないとは……はて。

 

どこに置いてあるの?

でも、一応は本物をどこぞで保管しているわけマボよねえ。
その本体も、実はバラバラの場所に安置してあるんだ。
梓
  • 八咫鏡

実物は、伊勢の神宮の内宮に安置され、ご神体となっている。

形代(神器の代わりとなる複製)は、皇居の「賢所(かしこどころ)」に安置。

 

  • 天叢雲剣

実物は、熱田神宮に安置され、ご神体となっている。

形代は、皇居の「剣璽(けんじ)の間」に安置。

 

  • 八尺瓊勾玉

実物は、皇居の「剣璽(けんじ)の間」に、天叢雲剣の形代とともに安置。

実物が皇居にあるため、形代(レプリカ)は無し。

剣璽の「剣」は天叢雲剣を、「璽」は「八尺瓊勾玉」を指す。

皇居に置いてある3つのうちの2つは、レプリカ、というわけマボねえ。

皇室の三種の神器といっても、伝統ある神社のご神体を持ってくるわけにもいかないマボよねえ。

三種の神器を巡る争い① 壇ノ浦の戦い

三種の神器の持ち去り

かつて三種の神器は、新しい天皇が即位するのに欠かせない代物だった。

ところが、平安時代末期、この三種の神器が持ち去られるという異常事態が発生する。

当時、朝廷を実質的に支配していた平氏が、やがて没落して都落ちする際、幼帝・安徳天皇と一緒に三種の神器も持ち去ってしまうんだ。

梓

安徳天皇像(部分)

(泉涌寺、京都)

 

はて!

そんな大事なモノを持っていかれたら、みんな大慌てになったんじゃ……。

連れ去られた安徳天皇の替わりに新しく後鳥羽天皇が選ばれても、即位式がなかなか行えない

すると、政務も滞る。

困ったことばかり続くわけだから三種の神器の奪還は急務だったんだけど、壇ノ浦の戦いで敗北が迫ったとき、平家の人々は幼い安徳天皇と三種の神器を抱えて海に飛び込んでしまう。

梓

 

「剣」の喪失と「代わりの代わり」

『安徳天皇縁起絵図』

(赤間神宮、下関)

 

「鏡」と「勾玉」が入った箱は海に浮かんでいたので回収できたけど、「剣」はそのまま沈んで無くなってしまった
梓
は、はて……。

それじゃあ、「剣」の歴史はいったん平安時代の終わりで途絶えるというわけマボねえ。

元々の「剣」が熱田神宮に安置してある実物の代わりだから、「代わりの代わり」がしばらく使われることになった。

その後、伊勢の神宮から贈られた剣が正式な「形代」となったんだ。

梓

 

三種の神器を巡る争い② 後醍醐天皇

元弘の変

平安時代末期から約150年後の鎌倉時代末期。

再び、三種の神器が朝廷から持ち去られる事態が起きる。
しかも今回はなんと、天皇自身が持ち出してしまうんだ

 

鎌倉幕府から政治の実権を奪還しようとしていた後醍醐天皇によってね。

梓

文観開眼『絹本著色後醍醐天皇御像』

(清浄光寺、藤沢)

 

ハチャメチャな方マボね、はて……
後醍醐天皇は鎌倉幕府を倒そうと考えては、その計画を密告されて幕府に追い立てられる。

このとき、後醍醐天皇は三種の神器のうち「剣」「勾玉」を持って朝廷を脱出していたんだ。

まあ結局捕まっちゃって、後醍醐天皇は隠岐へ島流しとなるんだけどね。

これを「元弘の変」という。

梓

南北朝時代へ

こうして鎌倉幕府に恨まれながらも、後醍醐天皇はしぶとく隠岐の島から脱出する。

その後、鎌倉幕府を滅亡へと追い込んだ後醍醐天皇は、武士の時代から天皇の時代へと戻すべく、「建武の新政」と呼ばれる天皇親政を始める。

梓
執念の人マボねえ。

マンガのキャラクターみたいマボよ。

ところが、あんまり急進的過ぎたせいで武家社会の反発を買い、足利尊氏が室町幕府を開くことで、後醍醐天皇の治世はあっけなく終わってしまう。
梓

『絹本著色伝足利尊氏像』

(浄土寺、尾道)

 

例によって三種の神器を持って朝廷を脱出しながら尊氏と争った後醍醐天皇だけど、敗北した後は幽閉され、三種の神器も差し出さなくてはならなくなった。
梓
ジェットコースターみたいな人生を送っているマボねえ。
ところが話はここで終わらない。

なんと、このとき引き渡した三種の神器は「偽物」で、本物を持った後醍醐天皇は京都を脱出し、奈良の吉野へと向かう。

京都の「北朝」に対し、南にある奈良の「南朝」という2つの帝が並び立つ南北朝時代の幕開けだ

梓
と、とんでもないバイタリティの人マボ……。

しかし、三種の神器の中身は誰にも確認できないからこそ、「そっちは偽物マボ!」作戦も通用したのかもしれないマボねえ。

こうなると、もはや何をもって「本物の三種の神器」と言えるのか、怪しくなってきたマボよ……。

結局、その後南北朝は統一され、三種の神器も朝廷の下に戻ってくる。

その後も、三種の神器は戦乱の中で強奪されたりするものだから、天皇の正当性には「三種の神器」が大事だ、という価値観はだんだん薄れていくことになるんだ。

梓

まとめ

  • 三種の神器のうち「八咫鏡」「天叢雲剣」は形代が、「八尺瓊勾玉」のみ実物が、皇居に安置してある
  • 壇ノ浦の戦いの際、「剣」は海に消え、その後「代わり」が用意された
  • 南北朝の動乱など、その後何度も三種の神器は朝廷から持ち出され、次第に天皇の正当性の保証にそれほど影響しなくなっていく

 

参考資料

  • 渡邊大門(2009)『奪われた「三種の神器」-皇位継承の中世史』(講談社現代新書) 

 

 

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