このあいだ、武田信玄にまつわる史跡を訪ねて山梨県を巡ったマンボウ。
今回は山梨ならぬ山形県へとやってきています。
信玄公の記事はこちらをチェックしてくれ~。
でも、上杉謙信といえば山形県ではなく新潟県では…
今回は、上杉家にまつわる神社、その名もズバリ上杉神社を紹介するよ。
目次
ヤマナシ? ニイガタ? いいえ『ヤマガタ』……上杉神社が山形にあるワケ
上杉神社の成立ち
もともと、越後、つまりいまの新潟にあった祠を、江戸時代はじめに山形の米沢に移した。
これが明治時代となって、正式に神社へと定められることとなる。
越後⇒会津⇒米沢と移った上杉家
『武田信玄・上杉謙信 一騎討像』
(川中島古戦場)
『甲斐の虎・武田信玄』とあわせて『越後の龍・上杉謙信』と並び称されたのは有名だね。
やっぱり、新潟にいたんじゃないですか。
豊臣秀吉が戦国の世を統一すると、景勝は秀吉からいまの福島県、会津へ移るように命じられる。
どうして越後から会津へ移されたんですか。
上杉景勝と直江兼続
(上杉神社)
加えて、秀吉から信頼されていた景勝には重大な使命があった。
福島県を基点として、北方を見ると伊達政宗をはじめとした東北諸大名、南方を見ると江戸を拠点とした徳川家康がいる。
あ、でも、上杉神社は福島じゃなくて山形にあるのはどうして。
それは、もう一度、領地が変わるからだ。
秀吉が死んだあとに起きた、東軍と西軍の戦いは?
上杉鷹山
(上杉神社)
景勝は西軍、しかし関ヶ原の戦いは家康の東軍の勝利に終わる。
結果、会津120万石を治める上杉家は、出羽30万石へと国替えのうえ領地も減らされた。
以後、米沢の地は代々上杉家に統治されることとなる。
上杉神社を回ってみよう
『龍』は越後の龍だね。
なせばなる、なさねばならぬ╿自己破産を救った中興の祖・上杉鷹山
18世紀後半に米沢藩を治めた。
当時の米沢藩はあまりに窮乏していたので、領地返上寸前となっていた。
領地を手放し、その後の領地の処置はすべてお上に任せる。
そんな米沢藩を救ったのが……
『ジョン・F・ケネディが上杉鷹山を尊敬していたのはあまりにも有名』
みたいな言葉が並んでいるのですが、はて。
いずれにしても、そんな話が出るぐらいに、江戸時代の当時から現代にいたるまで、上杉鷹山の偉大さが語り継がれてきたということだ。
写真は、鷹山が残した名言。
まとめ
- 越後⇒会津⇒米沢と上杉家は移ったため、山形県に上杉神社ができた。
- 神社内には上杉謙信、上杉景勝、上杉鷹山と上杉家を称える銅像が。
- 上杉家中興の祖・上杉鷹山はジョン・F・ケネディにも尊敬されていた。
基本情報
☆上杉神社 ≫「やまがたへの旅」(山形県観光情報ポータル)
〒992-0052 山形県米沢市丸の内1丁目4