荒魂/和魂/幸魂/奇魂│『古事記』『日本書紀』のエピソード

こんにちは、はてはてマンボウです。

今回は……。

「荒魂、和魂、幸魂、奇魂」……はて。

まず、何と書いてあるかが読めません、ぼぼ

順番に、

荒魂:あらみたま

和魂:にぎみたま

幸魂:さきみたま

奇魂:くしみたま

と読むんだ。

これらは、『古事記』『日本書紀』といった記紀神話にも出てくる、キーワードでもあるんだよ。

神社をお参りすると、境内で見られることもある言葉だから、せっかくなのでそれぞれ、どんな意味を持つのか見てみよう。

梓

 

日本人の霊魂観

身体から離れる魂

まず、魂とは何か、というのを見てみると……。
梓

モノやオニが邪悪な方面へと働くことがあるのにくらべ、

「タマ」という表現は人間に恵みをもたらす霊格として使用される。

 

タマは振り動かされることによって活性化される生命力と、

身体から遊離しようとする魂を意味する場合の二形態があり、

それぞれ鎮魂(魂振り、魂鎮め)の儀式によって人の状態を良い方向に導こうとした。

 

つまりそれが人の身体にあって人を健全に生かしめている、幸いをもたらす霊魂ということである。

 

平安時代の女流歌人である和泉式部の歌に

「もの思へば 沢の蛍も わが身より あくがれ出づる 魂(たま)かとぞ見る」
とあるように、
普段と異なる精神状態のときには、人に死をもたらすことなくタマは身体から離れ出ることがあると考えられていた。

 

鎌田東二(1999)『浸透用語の基礎知識』 角川選書.

ぼぼぼ……分かったような、分からないような……蛍が何ですって?
つまり、魂というのは、
人が死んだときでなくても、人の身体から離れていくことがある、ということだ。

 

ちなみに、和泉式部の歌は、

「思い悩んでいると、沢の蛍の光も、身体から離れてさまよう私の魂のように思えるものだよ」

という意味。自分で自分の魂を目撃しているわけだね。

ちなみに、『源氏物語』なんかでも「あくがる(上の空になる、心が身体を離れる)」結果、

魂、生霊が飛んでいく、という表現が見られる。

梓
ほーん、昔の考えだと、魂って、身体にかちっとハマっているものじゃないわけマボねえ。

魂の4つの性質

さて、これらを踏まえて魂の4つの性質を分けると、次のとおり。
梓
  • 荒魂:動的、荒々しい魂の側面
  • 和魂:静的、穏やかな魂の側面
  • 幸魂:幸いをもたらす魂の側面
  • 奇魂:霊妙な作用をもたらす魂の側面

鎌田東二(1999)『浸透用語の基礎知識』 角川選書より

※和魂が分かれたものが、幸魂・奇魂ともされる。

 

神社の境内では、ご本殿以外の小さなお社である「摂社」「末社」で、荒魂を祀っていることがあるよ。
梓

境内でご本殿以外に小さなお社を見かけることがあります。

これらのお社は、摂社、末社と呼ばれています。

摂社も末社も一つの神社(本社)に付属する神社で、現在では特に両社を分ける明確な規定はありません。

 

明治時代以降、戦前までは一定の基準がありました。

摂社は、本社のご祭神の姫神(后や妃、娘)や御子神(子供)、その他、本社にゆかりのある神、

本社のご祭神の荒魂(積極的、活動的な神霊)

さらに、その土地に古くから鎮座していた地主神を祀るものです。

そして、それ以外の神を祀るものを末社といい、摂社は末社より上位に置かれていました。

 

この他、伊勢の神宮などでは、特に本社ご祭神と関係の深い社を別宮(べつぐう)と称しています。

 

神社本庁監修(2012)『神社のいろは』 扶桑社.

 

荒魂:伊勢の神宮

さて、ここからは、それぞれの魂が関係する神社や神様をみていくよ。

まずは、荒魂から。

 

伊勢の神宮は、内宮(ないくう)・外宮(げくう)に分かれているけど、それぞれに荒魂を祭る宮があるんだ。

梓

Wikipedia「荒祭宮」(2023年11月9日確認)

 

荒祭宮(あらまつりのみや)は、内宮の境内にある別宮。

別宮は、正宮の次に偉い宮で、正宮と縁の深い神様が祀られてる。

というわけで、荒祭宮では、天照大神の荒魂が祀られている。

Wikipediaだと全体像のよく分かるいい写真があったので引用させてもらいました。

梓

 

多賀宮

 

多賀宮(たかのみや)は、外宮の境内にある別宮。

外宮は、天照大神の食事のお世話をする豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀る場所。

その荒魂を祀るのが、この多賀宮なんだ。

多賀宮はいい感じの写真が手元にあったので、参照したよ。

梓

 

和魂、幸魂、奇魂:大物主大神

大神神社(おおみわ じんじゃ)

 

大神神社で祀られているのは、大物主神(おおものぬしのかみ)。

この神様は、『古事記』で、大国主神(おおくにぬしのかみ)が国づくりに困っているときに現れる神様だ。

梓

 

大国主神はどうしていいかわからなくなった。

「吾、一柱でどうしろというのだ。もうできない。国作りなんてできない」

そう言って大国主神は海辺に行って悲しんだ。

そうしたら。

はるか沖から海を輝かせつつ近づいてくる神があった。その神は近づきながら言った。

「お困りのようですね。吾をしかるべく処遇したら協力しますよ

大国主神は問うた。

「もし処遇しなかったら?」

「この国は潰れるでしょう」

「わかりました。処遇しましょう。どのように処遇すればよいですか」

「吾を祀りなさい」

「どこに?」

「山」

「どこの山?」

「大和」

「大和のどこ?」

「東の山。青々と連なってるやつ」

「もしかして三輪山?」

「そう」

「そこにお社みたいなの造ればいいってこと?」

「そう」

「了解」

という訳で、いま三輪山の上に祀られている神さんがこの神さん(大物主神という)である。

 

町田康(2023)『口約 古事記』講談社.

 

『古事記』ではこのような描写があるんだけど、『日本書紀』では、この大物主神は、大国主神の幸魂奇魂である、とされている。
梓

困っているところに助けに来てくれたのは、実は自分の魂でした、と。

大国主神自体が、いろいろな神様のエピソードを吸収しているような節もあるから、『古事記』と『日本書紀』との間で、その辺の描写に差異が出たのかもしれないね。

他にも、魂を祀っている神社はこんな例があるよ。

梓
  • 廣田神社(ひろたじんじゃ)

天照大神の荒魂を祀る兵庫県西宮市の神社。

『日本書紀』では、天照大神自らが、その荒魂を廣田国で祀れ、と指示している。

 

  • 住吉神社(すみよしじんじゃ)

全国の住吉神社では、住吉三神を祀っている。

『日本書紀』では、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉の国から帰ってきたとき、
身に付いた穢れを祓うために海に入ったときに生まれたのが住吉三神。

大阪の住吉大社には和魂が、山口県下関の住吉神社には荒魂が、それぞれ祀られている。

 

  • 狭井神社(さいじんじゃ)

大物主神の荒魂を祀る。

大神神社の御神体でもある三輪山への登拝口が境内にある。

 

いろんな神社に、いろんな神様の魂が祀られているわけマボねえ。

今度神社にお参りするときは、ちょっとした「●●魂」の説明も見てみたくなりました、はってはて♪

まとめ

  • 神の中の様々な魂の性格を表したのが、荒魂(あらみたま)、和魂(にぎみたま)、幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)
  • 伊勢の神宮の境内には、荒魂を祀っている別宮がある。
  • 大神神社で祀られる大物主神は大国主神の幸魂奇魂と言われる。

 

 

参考資料

  • 鎌田東二(1999)『浸透用語の基礎知識』 角川選書.
  • 神社本庁監修(2012)『神社のいろは』 扶桑社.
  • 町田康(2023)『口約 古事記』講談社.
みんなでシェアしてくれ~はってはて~

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です