今回は……はて、タイトルからして難しそうな内容。
モダニズム、はて。
たしかに小難しい話かもしれないね。
「現代」という時代を考えるために「モダニズム」すなわち「近代」とは何かを見ていこう。
目次
「現代」とは「ポスト・モダン」か
モダニズムとポスト・モダニズム
モダニズム、ポスト・モダニズム……はて。
今風、今風と言っていたのも、数十年も過ぎれば古びてくるよね。
何十年前にできた駅でも「”新”大阪駅」と言ったりするのと一緒。
1970年代に、建築やデザインの分野で使われるようになった言葉だったのが、フランスの哲学者たちを通じて1つの考え方として広まった。
ポスト・モダンと「大きな物語」
ジャン・フランソワ リオタール 、小林 康夫訳(1986)
『ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム』 (書肆風の薔薇)
その解釈にはいろいろな考えがあるんだけど、
フランスの哲学者であるリオタールが書いた『ポスト・モダンの条件』では、
「ポストモダンとは大きな物語の終焉」と説明されている。
こういった多くの人たちに共通する価値観が力を持たなくなっているのが「ポスト・モダン」の時代。
つまり、「大きな物語の終焉」というわけだ。
いまも生きている「大きな物語」
だけど、我々の暮らしぶりが豊かになるのにあわせて、
「みんなと同じサービスを受けるのは当たり前」
になってきたんじゃないかな。
ある程度の街に行けば「電車や病院はどこにでもある」「水や電気はどこでも利用できる」生活ができる。
逆に「水や電気もない生活なんて考えられない!」と思う人の方が多いんじゃないだろうか。
新しい「みんな共通の価値観」が生まれているマボ!
むしろ、近代は徹底化されていると言えるのではないだろうか。
徹底される「近代」
『近代とはいかなる時代か』
アンソニー・ギデンズ 、 松尾精文ほか訳(1993)
『近代とはいかなる時代か? ─モダニティの帰結─ 』 (而立書房)
われわれは、
ポスト・モダニティの時代に突入しているのではなく、
モダニティのもたらした帰結がこれまで以上に徹底化し、
普遍化していく時代に移行しようとしているのである。
アンソニー・ギデンズ 、 松尾精文ほか訳(1993)
『近代とはいかなる時代か? ─モダニティの帰結─ 』 (而立書房)
それじゃあ、結局「近代」の延長線で生きていかなければいけないのだろうか。自由とはなんだろうか。
次回の記事で考えてみよう。
まとめ
- 20世紀初頭の「モダニズム」の先の時代を捉える考えとして「ポスト・モダニズム」の思想が生まれた。
- フランスの哲学者であるリオタールは「ポストモダンとは大きな物語の終焉」とした。
- 一方、ギデンズは「現代は、ポスト・モダンではなく、むしろモダニズムを徹底した時代だ」と指摘している。
参考文献
-
アンソニー・ギデンズ 、 松尾精文ほか訳(1993)『近代とはいかなる時代か? ─モダニティの帰結─ 』 (而立書房)
-
ジャン・フランソワ リオタール 、小林 康夫訳(1986)『ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム』 (書肆風の薔薇)