【静物画】①バロックまでの変遷とは?

こんにちは、はてはてマンボウです。

ピーテル・クラース『ヴァニタス』

(マウリッツハイス美術館、デン・ハーグ)

ウィレム・カルフ『食卓の上の角杯とロブスター』

(ロンドン・ナショナルギャラリー、ロンドン)

 

はて、どくろの絵に、ロブスターの絵。

今回のテーマは……。

今回見ていくのは「静物画」。

人ではなく物を描いてきたこの絵画がどんな変遷を辿ってきたのかを見てみよう。

梓
見るマボ、見るマボ~♪

 

歴史画の後塵を拝する静物画

カラヴァッジョ『果物籠』

(アンブロシアン図書館、ミラノ)

 

ヨーロッパでは長らく、絵画の序列が決まっていたというのは、風景画についての記事でも見てきたね
梓
そんな話もあったような。

えーっと、はてはて、順位はたしか……。

1位)歴史画(物語画)

2位)肖像画

以下、風俗画、風景画、静物画、動物画……。

古代の神話や聖書を描く「歴史画」は最高位。

一方で、風景画、そして静物画は大したものと見なされなかったんだ。そもそも絵画としても認識されていなかった、と言えるだろう。

そもそも昔から、画家という職業は世間から軽視される伝統にあったから、「権威ある歴史画を描く職人」という立ち位置をまずは確立しようとするのが先だったんだね。

 

そもそも1600年ごろ、つまり17世紀になるまでには、新しいジャンルであるこの「物を描いた絵」は、「静物画」という名前も与えられず、大した評価を得てはいなかったんだ

梓

 

  • 日常的なものを描いた絵は、想像力をあまり必要とせず、主として裕福な人々の贅沢好みに応えるもの、というふうに思われたのである。

 

  • 小手先のわざに従事する諸国として軽視さえてきた身分を脱し、専門職エリート層の学識ある一員として認知もらおうと苦闘していた画家たちにとって、単なる贅沢品の供給者や「自然を猿真似するもの」と見なされるのは願い下げだった。

 

  • 〔「静物画」という〕適切な一般名将がないために、画家も観者も描かれた題材の記述に頼るしかなかった。

(中略)

時代が下がって一七二八年になっても、あの卓越した静物画シャルダンは、「動物と果物の絵に優れた画家」としてフランスの王立絵画彫刻アカデミーに入会したのである。


エリカ・ラングミュア、高橋裕子訳(2004)
『静物画』(八坂書房)

ジャン・シメオン・シャルダン『赤エイ』

(ルーヴル美術館、パリ)

 

ジャン・シメオン・シャルダン『銀の深皿』

(メトロポリタン美術館、ニューヨーク)

 

物そのものは扱いが悪かったマボか、とほほ……。

 

アトリビュート・シンボルとしての静物

ラファエロ『聖母子と幼児聖ヨハネ』

(ルーブル美術館、パリ)

 

いやいや、ぞんざいな扱いを受けてばかりだった、というわけでもないよ。

宗教画においても、「物」は重要な役割を果たしたんだ

梓
重要な役割、はて。
それは、アトリビュートやシンボルだ。

アトリビュート、シンボルについては、以前の記事でまとめたね。

梓

 

  • 「アトリビュート」とは、絵画の中に描かれている人物が誰なのかを示す目印になる持ち物、人物とセットで描かれる
  • 「シンボル」とは、それ単体で別の何かを暗示する物

 

レオナルド・ダ・ヴィンチとアンドレア・デル・ヴェロッキオ

『受胎告知』(部分)

(ウフィツィ美術館、フィレンツェ)

 

たとえば、聖母マリアの『受胎告知』にはしばしば「百合の花」が描かれる。

百合の花は聖母の純潔を表すアトリビュートとして、マリアと一緒に描かれたんだ

梓

中世初期のキリスト教会は、ものの外観を描くことよりも、霊的な真実を伝達することのようを心に掛けていた。

しかし、花や食物がもはやそれ自体のために描かれることはなくなったとしても、そうしてモティーフは、すでに見たように、宗教的イメージを強化するシンボルとして生き延びたのである。

エリカ・ラングミュア、高橋裕子訳(2004)
『静物画』(八坂書房)

 

物には物の役割があったんですねえ。

 

百合の花はそれ単体でも、聖母の純潔のシンボルと見ることができる。

そうすると、「物」はそれだけで絵画として描かれることもあった

梓

 

ハンス・メムリンク『花瓶の花』

(ティッセン=ボルネミッサ美術館、マドリード)

 

 

〔静物画という名称が無いことから〕あまりにも細かい区別をすることにうんざりし、また、これら全ての絵には何かしら共通したものがあることを認めて、全体をカバーする一般的名称を生みだしたのはオランダ人たちだった。

 

ようやく一六五〇年頃のことで、

「スティルレーフェン stilleven」というこの言葉を先祖として、

英語の「スティル・ライフ still life」や

ドイツ語の「シュティルレーベン Stilleben」が生まれた。

さらに遅れてフランス語の「ナチュール・モルト nature morte」や

イタリア語の「ナトゥーラ・モルタ natura morta」も登場するが、

これは文字通りに言うと「死んだ自然」という意味になる。

 

(中略)

 

この新語が造られた時点での意図としては、これらの絵が、生命のない対象を直接観察して描かれたものであることを強調したかったに違いない。

 

エリカ・ラングミュア、高橋裕子訳(2004)
『静物画』(八坂書房)

 

こうして、静物画への道が開けていく、というわけですねえ。

 

バロック時代に確立!

フランス・スナイデルス『テーブルの上の果物』

(エルミタージュ美術館、サンクトペテルブルク)

やがて、17世紀のバロックの時代になると、いよいよ純粋な静物画が描かれ始める。

特にオランダでは、偶像ではなく聖書そのものを大切にするプロテスタントが主流となったことから、宗教画に取って代わって風俗画や肖像画に風景画、そして静物画が絵画の主流となったんだ。

梓

 

ルネサンスから磨かれたリアリティある技術が、ここで発揮されるようになるわけマボねえ。

 

さて、次回の記事では静物画にどんな種類があるかを見ていこう。
梓

 

まとめ

  • 元々絵画は、歴史画が最高位とされ、「物」の絵は重要視されてこなかった
  • 一方、絵画の中でも「アトリビュート」「シンボル」として、「物」も役割を持っていた
  • 17世紀のバロックの時代になると、「静物画」のジャンルが確立しはじめ、オランダを中心に描かれるように!

 

この記事の続きはこちらをチェックまぼ!
 

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参考資料

  • エリカ・ラングミュア、高橋裕子訳(2004)『静物画』(八坂書房)
  • 早坂優子(2006)『鑑賞のための西洋美術史入門』(視覚デザイン研究所)

 

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