今回は、ネットフリックスの『イギリスの城の歴史』に出てきたお城のあった地域の歴史を見ています。
前回までの記事は、こちらをチェックしてくれ~。
目次
ウェールズ╿アーサー王伝説のモデルとなった地
カーディフ城は、中世の職人の技とウェールズの伝統を代表する壮大な古城です。
修復と改装の大半はヴィクトリア時代に行われ、
現在は、大理石と凝った装飾が施された木目の彫刻が調和した古城となっています。
当時の様子を再現した興味深いイベントが行われ、
子供たちが当時の衣装を着てみることができるコーナーもあります。
5世紀、「アングロ・サクソン」と呼ばれるゲルマン人の一派の侵略を受けることになった。
しかし、ブリトン人と呼ばれるケルト人の一派は、ウェールズの独立を保ち続けたんだ。
エドワード・バーン=ジョーンズ『アーサー王のアヴァロンでの最後の眠り』
(郡山市立美術館、郡山)
ウェールズの地はその後も何度も侵略を受けてはこれをはね返していた。
プリンス・オブ・ウェールズ
『エドワード1世像』
(ウェストミンスター寺院セシリア、ロンドン)
ウェールズに対しては、1276年以降、4次にわたって侵攻した。
「プリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズの第一人者)」を名乗ったルウェリン・アプ・ギリフィズが抗戦するものの、
ウェールズはイングランドの前に敗れ去る。
エドワード1世の為政者としての力量は、このあとのウェールズ統治に発揮される。
1301年、エドワード1世は、出産間近だった王妃をウェールズの宮廷のあったカーナヴォンに招いた。
王妃はここで皇太子(のちのエドワード2世)を出産、
エドワード1世は生まれたばかりの子に「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を与えた。
当時、「プリンス」は「王子」ではなく「第一人者」という意味であり、
エドワードは息子を「ウェールズの第一人者」とし、ウェールズ人の乳母をつけた。
(中略)
以後、現在にいたるまで、イングランドの皇太子は代々「プリンス・オブ・ウェールズ」と呼ばれている。
それは、エドワード1世のウェールズ懐柔策にはじまる伝統的習慣だ。
歴史の謎を探る会(2012)
『イギリスの歴史が2時間でわかる本』
(KAWADE夢文庫)
テューダー朝╿ウェールズの血はイングランド王家へ
ヨーク家の家紋「白ばら」とランカスター家の家紋「赤ばら」
『ヘンリー7世』
(ナショナル・ポートレート・ギャラリー、ロンドン)
ヘンリー7世王の紋章
スポーツにおけるイングランドとの一体感
ヘンリー7世戴冠以来イングランド国内でウェールズ人は重要な地位を占めたことなどからも、
ウェールズはスコットランドよりもイングランドと近しい距離感にあった。
それはスポーツ面でも表れている。
カーディフ・シティFCのエンブレム
スコットランドが「スコティッシュ・プレミアリーグ」として独立リーグを持っているのとは対照的だ。
中村俊輔が所属していたセルティックもスコティッシュ・プレミアリーグのチームだね。
セルティックFCのエンブレム
まとめ
- ウェールズは、ブリトン人と呼ばれるケルト人の一派が暮らしていた地域で、アーサー王伝説のゆかりとなった。
- イギリス皇太子「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号は、エドワード1世がウェールズを征服したのちのウェールズ懐柔策に由来している。
- ばら戦争を収めテューダー朝の始祖となったヘンリー・テューダーはウェールズにルーツがあり、その後テューダー長ではウェールズ出身者が重用された。
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参考資料
- 歴史の謎を探る会(2012)『イギリスの歴史が2時間でわかる本 長大な歴史と重厚な文化を持つ英国がたどってきた道のりとは』(KAWADE夢文庫)
イギリスの歴史が2時間でわかる本 (Kawade夢文庫) [ 歴史の謎を探る会 ] 価格:748円 |