【長浜と豊臣秀吉】②長浜城から読み解く城下町づくり|琵琶湖畔に残る長浜の歴史と魅力

こんにちは、はてはてマンボウです。

前回は、滋賀県・長浜の秀吉を祀る豊国神社を見てきました。

【長浜と豊臣秀吉】豊国神社に見る長浜市民と秀吉の関係

 

今回は、長浜城を中心に、秀吉と長浜の関係をさらに深掘りしていくよ。
梓

琵琶湖のほとりにそびえる長浜城!

長浜駅から5分、
豊国神社からなら10分ほど歩いていくと……
梓
あ、城が見えてきました!
長浜城は、長浜駅のすぐ前にある豊公園の中にそびえているんだ。
梓
石垣の横を登っていくと……
おお! お城が見えてきました
現在の天守は1983年に犬山城や伏見城をモデルに復元されたものだ。
内部は、市立長浜城歴史博物館として運営されている。

1階は受付、2階は企画展示、3階は常設展示、
という構成だ。

梓
  • 2階 企画展示室

展示室では、湖北・長浜の歴史や文化に関する企画展や特別展を開催しています。

  • 3階 常設展示室

常設展示室では、長浜の戦国時代をテーマに、長浜城や秀吉に関する展示をご覧いただけます。

長浜城歴史博物館「博物館のみどころ」(2026年2月6日確認)。

 

長浜城ってどんな城?

ところで、改めて、長浜って秀吉にとってどんな場所だったマボか?
秀吉がこの地を任された頃、ここは「今浜」と呼ばれていた。

そこを、信長の名から一字もらって「長浜」に改めたと伝えられている。
ここから、秀吉の出世街道が更に進んでいくことになるんだ。

梓
なんだか秀吉らしい、人を立てるエピソードマボねえ。

しかし、縁起のいい町、ということマボね!

江北、すなわち近江地方の北側は浅井氏との戦乱で荒れていた状態。
そんなとき、散らばっていた商人・職人を集めて、秀吉は長浜にコンパクトな城下町を作ったんだ。
梓
戦いのための城というよりは、
商業と産業の土台を作る城だったということマボか?
いいところに目をつけるね、マンボウちゃん。

戦国時代以前の城は、山の上に立っていた。
殿様は普段、平地に住んでいて、城は戦争のときにだけ使っていたんだ。

だけど、戦国時代の後期になると、軍事拠点と政治・経済の拠点としての役割が融合し、このように平地の上に城が建てられるようになった。
こういう城を「平城(ひらじろ)」という。

長浜城は、交通や商業の要衝に作られている、まさに平城だね。

梓
ひょっひょっひょ、マンボウ、勘がさえてたマボよお。

 

天守から長浜の町を一望!

さて、再建された長浜城は、中が博物館となっている。

それらの展示を抜けてさらに階段を昇ると、天守から長浜の町を一望できるよ。

梓
はて! こりゃいい眺めねえ。
西側は、琵琶湖が広がっているんですねえ。
琵琶湖は淡水だから、塩気のある海風と違って、さらりとした風が心地いいね。
梓
南側を見ると、長浜から少し南にある彦根城が見える。

彦根城は、長浜城が棄却されたときに、その資材を流用しているんだよ。

梓
彦根城って、ひこにゃんの彦根城ですかあ。
でも、どこに、はて。
はて! カメラをアップにすると、たしかに天守閣が見えます。
東の方には、滋賀県と岐阜県にまたがっている伊吹山が見える。
標高1,300m級の滋賀県最高峰の山だ。
滋賀の東側はすぐ岐阜だから、関ケ原なんかも、あちらの方角にあるよ。
梓
秀吉との関係を知ったり、琵琶湖の眺めを楽しんだり……

長浜という町って、こんなに楽しく過ごせるんですね、はってはて♪

 

基本情報のまとめ

☆長浜城歴史博物館 公式HP

〒526-0065 滋賀県長浜市公園町10−10

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仏像と関連記事

長浜城歴史博物館では、仏像も見られるんだ。
梓

聖観音立像
長浜城歴史博物館、長浜市

伊吹山や己高山(こだかみやま)など深遠な山々が連なる滋賀県北部では、山岳寺院が数多く建てられ、天台宗の総本山・延暦寺の影響もあり、長浜にも仏教文化が花開きました

市内には、多数の貴重な仏像が多数伝わりますが、
とくに観音像の作例が多い旧伊香郡地域では、地域住民によって仏像が守り継がれていることから「観音の里」とも呼ばれています。

また、真宗寺院が多い長浜では、真宗信仰が現在の生活や文化とも密接に結びついています

 

【暴悪大笑】滋賀県・向源寺の十一面観音|見えない祈りを刻む国宝の微笑

実は滋賀県は、仏像のメッカ。

中でも、長浜がある湖北ゾーンには素敵なお寺がたくさんあるんだ。

梓
長浜からほど近い向源寺も以前取り上げていましたね。

暴悪大笑……その言葉の意味を知りたい方は、ぜひこちらの記事もどうぞマボ!