今回は京都市から北西へと回遊し、亀岡市にある出雲大神宮に来ています。
出雲……はて、これって出雲大社とはどう違うのかしら。
さて、今回はそんな出雲大神宮について見ていこう。
目次
出雲大神宮の概要
丹波国 一之宮
709年に創建されたとされる、由緒正しい亀岡の神社だよ。
都道府県ができる前の日本では、「摂津国」「筑前国」という呼び名で地域が分かれていた。
現在の京都府の一部である「丹波国」で最も崇敬を集めていた神社が出雲大神宮なんだ。
境内にはうさぎ、うさぎ
オオクニヌシノカミの像(出雲大社)
これは出雲大社と一緒だね。
白兎はオオクニヌシノカミとセットなんだね。
出雲大社との関係
どっちがどっちの分社? 徒然草では……
出雲大神宮は、出雲大社から分かれた神社、ということマボか?
さて、有名な古典『徒然草(つれづれぐさ)』には、こんな一節がある。
〔『徒然草』原文〕
丹波に出雲といふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。
しだのなにがしとかや、知る所なれば、秋のころ、
聖海上人、そのほかも、人あまた誘ひて
「いざたまへ、出雲拝みに。かいもちひ召させん。」
とて、具しもていきたるに、おのおの拝みて、ゆゆしく信おこしたり。
〔現代語訳〕
丹波国に出雲という所がある。
出雲大社に倣って立派に造営した。
しだ某とかいう人が領知する所なので、秋の頃、聖海上人や沢山の人を誘って、
「さぁさぁ、皆さん、出雲拝みに参りましょう。ぼた餅をごちそうしますよ。」
と言って一緒にお参りすると、皆、拝んで大層信仰篤くなった。
やっぱり、出雲大社にならって作られたのが出雲大神宮なんじゃ?
この段は中高生の教科書に載せられるほど有名で、
当時は広大な所領を抱えるなど、全国的に見ても社勢大にして、上下の尊崇極めて篤い神社でありました。
また分霊したとありますが、
当宮の社伝によれば、むしろ丹波の地より出雲の杵築宮にお遷し申し上げたとされています。
「出雲」はおたくの専売特許じゃないんだぞ、と。
どっちが「出雲」の元祖なの?
しかし、明治になるまでは「杵築大社(きずきたいしゃ)」を名乗っていたそうで、
かつては神社で出雲といえば「出雲大神宮」のことだったそうだ。
「創建したときに、オオクニヌシノカミを島根の杵築の地に分霊した」
という記述がある、らしい。
のこと。
どっちが元祖かは置いといて、仲はいいんじゃないかな。
所属、建築様式、自然信仰
「神社本庁」は、伊勢の神宮を頂点として日本各地の神社を所轄しているんだ。
一方、出雲大神宮は神社本庁に所属していない。
おらおら~。
神楽殿(出雲大社)
出雲大社は「大社造」といって、その名のとおり、日本を代表する建築様式の由来となっている。
「妻入」という作りをしていて、屋根の側面(=妻)の側がこっちを向いているんだ。
そして屋根の傾斜は比較的直線。
「出雲大神宮 本殿」を横から見た様子
屋根の正面が入口になっている。反った屋根が曲線形に伸びているのが特徴で、全国でよく見られる形式だ。
出雲大神宮 磐座
巨大石を磐座(いわくら)や、隣接する御蔭山(みかげやま)をご神体として祀っている。
出雲大神宮ができる以前からの自然物への信仰がいまでも残っているんだ。
一方、平地に広がる出雲大社では、オオクニヌシノカミそのものを祀っている印象が強い。
まとめ
- 出雲大神宮は出雲大社と同じくオオクニヌシノカミを祀る神社で、丹波国の一之宮。
- 徒然草では出雲大社から出雲大神宮へ分霊されたと記載があるが、社殿ではその逆という主張が。
- 所属組織、建築様式、自然信仰の形などで、出雲大社と出雲大神宮の間には違いがみられる。
基本情報
〒621-0002 京都府亀岡市千歳町出雲無番地