今回は……。
狩野一信「五百羅漢図」第五十二幅「神通」
(増上寺、東京)
第五十五幅「神通」
な、なんマボか、この異様な迫力の絵は……!
江戸時代に描かれた絵画の中でも、異端の存在として認知されているんだ。
今回は、この「五百羅漢図」のとある奇妙な絵画に着目しよう。
五百羅漢図と狩野一信
五百羅漢図
第三十幅「六道 畜生」(一部)
サンスクリット語のアルハットの音訳である「阿羅漢」の略。
ブッダに次ぐ地位の人たちと言える。
煩悩を克服し、真の悟りを得て、供養尊敬を受けるに値する境地に達した人という意味であり、
初期仏教では釈迦その人も羅漢の一人でした。
しかし、大乗仏教では、個人の悟りを追求する羅漢は低級視され、
人々の救済をめざす菩薩の地位が高くなる。
(略)
入滅した釈迦に代わり、自らは現世に留まって仏教を守る、それが羅漢だというのです。
そのうちの主要な大阿羅漢16人が十六羅漢であるとか、
釈迦没後に教えを正しく伝えるために結集(会議)した500人の阿羅漢が五百羅漢であるとか、
いろいろに説明されています。
山下裕二「羅漢さまのデイリーライフ」p.19、芸術新潮第62巻第5号。
元々、羅漢も釈迦と同じように仏陀を目指す立場だった。
しかし、仏を拝んでこれを頼ることが中心になる「大乗仏教」が広まると、自らの修行を通じて悟りを目指す羅漢の地位が変わっていった、ということだね。
顔の中から出てくる仏たち
第五十二幅「神通」(一部)
第五十五幅「神通」(一部)
第五十二幅と第五十五幅には、羅漢が自分の顔の皮をベリベリと剥ぐと中から……
という同工の絵柄が見られます。
ただし、前者では羅漢の皮の下から現れるのが不動明王であるのに対して、
後者では観音菩薩になっているという違いがある。
この図像は、六朝(りくちょう)時代、梁(りょう)の武帝が3人の画家に宝誌和尚(ほうしわじょう)という
高僧の肖像を描かせようとしたところ、
和尚が自ら顔の皮を剥いで十一面観音尾正体を現わしたという伝承に基づいています。
山下裕二「とーぜん超能力者です」p.44、芸術新潮第62巻第5号。
京都国立博物館.「日本の彫刻」『これまでの展示 日本の彫刻 2018年12月18日 ~ 2019年3月17日』2024年7月28日確認.
本当に中から観音様が!
……宝誌が指で自らの顔を裂き、十二面(十一面)観音菩薩が現れ
様々な表情に変化してしまい描くことができなかった、
という奇譚のクライマックスを木造により具現させたのが本像である。
既に指は顔になく両腕は胸前にあり、今まさに生じている驚くべき状況に相反し、
何事もなかったような静かな佇まいをみせており、
拝する者に宝誌の神異性がじわりじわりと伝わってくるかのようである。
平安時代嘉承(かしょう)元年(一一〇六)の大江親通(ちかみち)『七大寺日記』に、
奈良・大安寺に「宝誌和尚面ヲ曳破現給像アリ、木像ナリ」として
同様の宝誌像が存在していたことが知られる。
大阪市立美術館編(2017).『木×仏像』、p158。
当時の人も、一度見たら忘れられなかったでしょうねえ。
奇特な五百羅漢を描く狩野一信に影響を与えたのもうなずけますマボ。
例えば、京都の北西部にある宝厳院では……。
宝厳院、京都
ふとこんな出会いが!
他の羅漢像を見るときにも、野生の宝誌和尚のモチーフが見られるかもしれませんねえ、はってはて♪
まとめ
- 羅漢とは、入滅した釈迦に代わり、自らは現世に留まって仏教を守る人々。
- 狩野一信の「五百羅漢図」には、顔の中から仏が出てくるモチーフが見られる。ここには宝誌和尚の影響が見られる。
参考資料
- 大阪市立美術館編(2017).『木×仏像』、p158。
- 山下裕二「とーぜん超能力者です」p.44、芸術新潮第62巻第5号。
- 山下裕二「羅漢さまのデイリーライフ」p.19、芸術新潮第62巻第5号。
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