今回は
西洋絵画の悪魔的なこわーい話
の続きです、まぼ。
前の記事をチェックしたい人は、こちらを見てくれ~
聖書の中の地獄の世界
ヤン・ファンエイク
『キリスト磔刑と最後の審判』(部分)
(メトロポリタン美術館、ニューヨーク)
ジョヴァンニ・ダ・モデナ
『最後の審判』部分
(聖ペトローニオ教会、ボローニャ)
地獄の王としてのサタンが、
地獄へ堕ちた人々へ責め苦を与えている。
日本の地獄とよく似ているというわけまぼねえ。
それじゃあ、まとめますよ~。
まだまだ終わっちゃ困るんだ。
地獄っぽいけどちょっと違う、
という、いくつかのものについて話さないとね。
辺獄(リンボ)
ヤン・ブリューゲル、ルーベンス
『人間の堕落とエデンの園』
(マウリッツハイス美術館、デン・ハーグ)
「人類は生まれながらに罪を背負っている」
と考えられてきた。
アンドレア・マンテーニャ
『キリストの磔刑』
(ルーヴル美術館、パリ)
「イエスが磔刑に処されることで許された」
というわけだ。
以後、人類は原罪を心配せずに暮らせる。
「イエスが磔刑に処される前に生まれては死んでしまった人たち」
はどうなるだろう。
あるいは、「洗礼を受けずに死んでしまった人」は?
アンドレア・ダ・フィレンツェ
『辺獄へ降りるキリスト』
(サンタ・マリア・ノヴェッラ教会、フィレンツェ)
「リンボ(辺獄)」
という考えが生まれた。
カトリックに「父祖たちのリンボ」という言葉があります。
ここでの父祖たちというのは創世記に登場するあの父祖たちです。
(中略)
これらの父祖たちはいずれもキリスト教以前の者たちですが、彼らはキリストの救いに与れるのでしょうか?
彼らは天国に行けるのでしょうか?
いやそもそも、彼らは今どこにいるとされるのでしょうか?
彼らはリンボにいるとされます。
リンボとは天国と地獄の中間にある浄化の場所を指します。
彼らはそこで浄化されてキリストの救いを待っているとされるのです。
秦 剛平(2011)
『天使と悪魔 美術で読むキリスト教の深層』
(青土社)
「その間にこのリンボに降りて善人を救出した」
とも考えられてきた。
煉獄
ギュスターヴ・ドレ
『煉獄の入口』
という人たちが送られたのが煉獄。
煉獄とは微罪を犯した人々の魂が行くところで、ここで罪を浄化してから天国に入る。
つまり天国への中間地帯で、ここにも罪の軽重によって責苦や試練が待っていた。
つまり有限の地獄と言うこともできる。
そして煉獄の役割は終末の時、死顎の審判をもって完了し、煉獄は閉ざされ、天国と地獄だけになるのである。
利倉 隆(1999)
『悪魔の美術と物語』
(美術出版社)
でも、いちいちややこしいような……。
お互いがお互いを「その考えは違う! 実はこうで……」としてきたら、ややこしくなるのも当然だよね。
「絵画表現としてこういう考えもある」という気楽な気持ちで知っておくぐらいでいいと思うよ。
まとめ
- 悪人は地獄に落ちて地獄の王サタンに責め苦を受ける、というのが西洋絵画の地獄の典型パターン
- キリストの磔刑と復活以前の人や洗礼を受けられなかった人がいるのがリンボ(辺獄)
- 地獄に行くほど罪深くはないけれど、天国へ行くほど清らかではない人が入るのが煉獄
- ただし、教えによっては考え方が異なる
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こっちはなんだかスケールが大きくて……とにかくチェック、チェックマボよ~
参考文献
- 利倉 隆(1999)『悪魔の美術と物語』(美術出版社)
- 秦 剛平(2011)『天使と悪魔 美術で読むキリスト教の深層』(青土社)