今回は……。
三十三間堂
出所:蓮華王院 三十三間堂「境内」(2025年11月4日確認)
長さは約120メートル。
新幹線の1両が25mだから、
このお堂は新幹線約5両分に匹敵するんだ。
そしてその中には……。
出所:蓮華王院 三十三間堂「トップページ」(2025年11月4日確認)
こりゃまた、たくさんの仏様マボねえ、はてはて。
目次
三十三間堂の概要
三十三間堂ってどんなところ?
お寺の正式名称は蓮華王院(れんげおういん)。
元は、平安時代末期の後白河上皇が、自身の離宮内に創建した仏堂なんだ。
藤原為信『天子摂関御影』「後白河院」
(皇居三の丸尚蔵館、東京)
なんでこんなに千手観音が?
やりすぎなんじゃないでしょうか。
仏教に関して、貴族の間では、
「なんでも多ければ多いほどいい」
という考えが広がっていたんだ。
三十三間堂に入り、1000体の千手観音を目のあたりにする体験は、ほかでは得られない。
すべての像をひと目で見渡すのは難しく、あたかも仏像がはてしなく並んでいるような心地がする。こうした特異な空間は、平安から鎌倉時代にかけて広まった信仰の形から生まれた。
当時の皇族や貴族は、多数の仏像を造ることが多くの功徳(くどく)・善行を積むことになると信じていた。この考えを「多数作善(たすうさぜん)」という。
そして功徳を積めば積むほど、極楽浄土に往生できると信じて、仏像の造立や寺の建立に力を注いだ。小学館(2022)『蓮華王院三十三間堂』、小学館、p.27。
三十三間堂と通し矢
各藩の支援の下、弓術家がこぞって技量を示し合い、一昼夜での通し矢数の「天下一」を競うことになった。
あれは60mぐらいの距離で矢を射るもので、現代の弓道で「遠的」と呼ばれる競技だから、
江戸時代のものとは全く違う。
平田弘史の漫画『弓道士魂』を読むと、
藩を挙げての当時の壮絶な争いの様子が表れているので、興味があればぜひ読んでみてね。
平田弘史(2015)『弓道士魂~完全版~ Kindle版』、グループ・ゼロ。
1001の観音
慶派・院派・円派の分担
出所:蓮華王院 三十三間堂「千体千手観音立像」(2025年11月4日確認)
しかし、1249年、建長の大火で焼失してしまう。
その後、1266年に本堂のみが再建され、「三十三間堂」と称されて現在に至る。
1001体の仏像についても、上記の火災で燃えてしまい、
平安時代の創建時の像は124体が残った一方、
鎌倉時代の再建時には新たに876体が作られることになったんだ。
ちなみに、他に室町時代に追加された像が1体だけいるよ。
千手観音坐像
出所:蓮華王院 三十三間堂「千体千手観音坐像」(2025年11月4日確認)
像高は3メートルを超えており、台座や光背を含めると高さは7メートルにも及ぶ。
手掛けたのは鎌倉時代中期の、湛慶(運慶の子)で、82歳のときに完成させたと言われる。
ちなみに、この坐像と千体の仏像とで本尊という構成。
半眼に開いた目が、典雅な表情を生んでいる。
抑揚を抑えた体躯と、全42臂(ひ)の腕のバランスも申し分ない。
湛慶は、父・運慶から受け継いだ写実に洗練を加え、穏やかな仏を造る。
頭上の豪華な天蓋(てんがい)、
観音三十三応現身の小像があしらわれた光背、
九重の蓮華座もすべて当初のまま。光背に表された観音が変化した33の姿は、如来や天部像など多彩だ。
33にこだわる創建寺の姿勢を貫き、荘厳具に至るまで手間を惜しまない。
再興像でも手を抜かない、真面目な仕事ぶりが光る。
小学館(2022)『蓮華王院三十三間堂』、小学館、p.27。
京都駅からも近そうですし、京都に行くときはぜひ訪問してみます。
まとめ
- 三十三間堂は、平安末期の創建以来、鎌倉時代の再建を経て、120メートルの堂内に1001体の千手観音が立ち並ぶ。
 - 慶派・院派・円派それぞれに特徴を持つ仏像が立ち並ぶ。
 
参考資料
- 小学館(2022)『蓮華王院三十三間堂』、小学館。
 












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